2008.1.5 祝新年
あけましておめでとうございます。
年末年始はあっという間に過ぎ去っていき、残されたのは我が家のガラクタと笑いでした。みなさんはどのような新たな年の始まりを迎えられたのでしょうか。
さて、ついに出発が目前に迫ってきました。準備は万全です!なんて軽く口にしてみたいものですが、直前までバタバタしそうです。先日、炬燵に入りみかんを食べ散らかしながら寝ていますと、僕に断りもなしに風邪の菌氏が入り込んできて、まず今年の目標は風邪を治すことに決定しました。しかしこれで、逃げ帰る言い訳だけは万全です。
今年の3月までは氷点下の世界を走ることになりそうですが、みなさんからいただいた温かさで生きていけると思います。とりあえずはアラスカからカナダに入るまでの1ヶ月半に全神経を集中させます。
かっこいいことを言いつつも何かと逃げ口上を探しながら走るでしょう。しかし、生きて帰ったらすべて成功。そう考えて、荷物をまとめていきます。
みなさんのおかげでここまで来れています。心からお礼申し上げます。
今年もよろしくお願いします。
2007.12.31 2007年、ありがとう☆
2007年も最後の日となりました。今年もたくさんの方に助けられ支えられ守られた年でした。つながりをもてたみなさまに、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。
この1年、自分なりに悩んだりもがいたり周囲に迷惑をかけつつ考え蠢きそれでも進まず自分がいやになったり(ちょっと嘘)自分を嫌いになったり(かなり嘘)しながら、深い深い底の方から持ち上げてくれる大きな力によって動かされました。ひとつは僕の無意識の想いと、もうひとつはみなさん一人一人です。
僕は出逢いを必然と考えています。そう捉えた方がその出逢いをより大切にできるからなのですが、みなさん一人一人とお逢いして背中を押してもらい足を持ち上げてもらい心を豊かにさせていただきました。そのことがこれからの僕にとって、大きな意味を持つのは確かです。
さて正月8日、厳冬のアラスカという厳しい環境に向かいますが、僕の想像を遙かに越えた寒さに打ち震え情熱とクセ毛まで縮こまってしまうかもしれません。そんなとき「みんな待っちょうけぇ帰ろ!」と、無様でも逃げ帰ることができる「場」がこの1年でたくさん増えたと思います。みなさん一人一人との出逢いのおかげです。ありがとうございます。
ここ数日、ようやく冬らしく雪などが舞う状況ですが僕は日本を出るまでは短パンで過ごします。実は風邪気味であり精神もお腹の調子もゆるいのですが、唯一意地だけは張っていて強固ですので、気合いで治して参ります。おっとイカンイカン、謙虚にならねば。きちんと家の中では長ズボンをはくことにします。本当に健康第一ですね。
みなさま。いつもたくさんの心をありがとうございます。
新年がすぐそこです。よいお年をお迎えください。
西野旅峰
拝
2007.12.23 アスタラヴィスタ、サガ!
今日、佐賀を出ます。予定通りいくと、次に佐賀の土を踏みしめるのは1年半後です。
たくさんの人に見守られて佐賀を出ます。たくさんの人に、心からありがとう。
いってきます!
(アスタラビスタ : んじゃまたね!−スペイン語)
長州男児
西野旅峰
2007.12.17 旅立ちの日
先日米国ヴィザが取れまして旅立ちが決まりました。
来年1月8日(火)、福岡からソウル、シアトルを経てアラスカはフェアバンクスへと入っていきます。アラスカの今冬は厳しいとの情報があり、心して向かいます。
ただ僕はかなり中身のない軽いオトコですので、みなさんの期待(!)を簡単に裏切り、停滞(怠慢)、引き返す(後退)、もしくは逃げ帰る(逃避)、などということをやってみたりする自信もあります。自然に対して臆病であることに自信を持っています。あ、いや、自信を持っちゃいかん。謙虚にならねば。臆病であること。それは大自然の前では大切なことだと思います。などと、気づいてみたら「自分が逃げ帰っても許してね」的言い訳を書いている己がいて、僕は行く前からビビッているわけです。ビビッているので無茶はしません。そこだけは心配しないでください。などと、またフォローを入れる自分がいて……
いずれにせよ、残すところ出発まで3週間です。やるべきことをこなし、笑いながら1月8日を迎えられるようにしたいものです。
ずっと更新が遅れていました。
申し訳ありませんでした。
それでは、ひとまずこの辺で。
長州武士
2007.11.21 ヴィザ面接予約取れる
ずーーーっと手こずっていた米国ヴィザ取得のための面接予約が何とかできました。
ずーーーっと手こずっていてここで前に進めていませんでした。
ひとまず進んだことが一安心。もちろんヴィザが取れるという保障などありませんが、面接を受けることができなければそのチャンスすらありません。だからよかった。
米国は通常の旅行であればヴィザは必要ありませんが、必ず米国を出るという確証を持たない自転車での自由旅行には短期観光ヴィザなるものが必要らしく、それには領事館か大使館で面接を受けなければならないのです。そのための手続きがうまくいっていなかったのです。
壁は必ずあるものです。でも今の僕に必要なのは、それらをひとつずつ越えていくこと。普通の方ならスッと簡単に進める道でも、僕にとっては厳しかったりうまくいかなかったり手間取ったり。だからそれら壁のひとつひとつを、少しずつ越えていくしかありません。
とりあえず引越しの荷物をまとめ冷凍庫に入り、酒を飲みつつ装備を揃え、税金の申告をしつつ酒を嗜み、年金や奨学金返済のあれやこれやをし酒を味わい、気持ちを高めていきながら出発地点に着きたいと思います。酒は「あればいいな」という単なる願望を書いたまでです。
さあて、今夜は眠い。眠るとします。
Boa noite☆
長州武士
2007.11.20 元気の素
朝。
FM愛知に電話出演しました。緊張して何を話したか覚えていません……ということもなく、ペラペラといつものあの軽い調子で旅の予定について話をさせてもらいました。
その中で僕の元気の素は何?と訊かれました。
僕は軽いヤツですがマジメヤロオでもあるのでオモシロイ答えなど用意していません。
つとめてマジメに答えました。
「僕の元気の素は、応援してくれるみんなです。この人たちがおらんかったら今の僕はおらんです」
とってつけたようなありきたりの回答などしたくないのですが、小心者の僕はオモシロイことを考え付く大胆さもなくこんなことを言うのでした。
でもこれは本音です。
FM愛知やRKBには旅先から報告をするようになっています。
無事であることを報告できたらいいなと思います。
さて、みなさんの元気の素は何ですか?
長州武士
2007.11.17 出発予定の変更
ただいま佐賀。
寒くない佐賀に戻ってきました。半袖短パンで街を歩いていたら、おかしな目で見られました。でも寒くないッス。オ、オレは寒くないんじゃ!と、心の中で動揺を隠しつつ木の葉舞う秋の道を歩いています。寒さのスタンダードをもっともっと下げないといけないので、日本を出るまでずっと短パンで過ごします。やけど体調管理には気をつけます。
さて、現在米国のヴィザ取得に関して諸問題を抱え、当初12月初頭だった出発予定が1月にもつれ込むことになりそうです。できれば今年中に出たいのですが、(僕の英語力不足とコンピュータ嫌いのせいで)米国領事との面接予約が取れないなど、中々困難です。まあひとつずつ壁は超えていきますが、もしうまく予約が取れてもヴィザが取得できるかどうかは分かりませんし、もしうまくいってヴィザが取れたとしても入国ができるかどうかはまだ分かりません。出発地点に着くまでがまずは一苦労ですが、焦っても文句を言ってもヤケ寝してもどうにもならず、ひとつずつ問題を解決していくしか道はありません。
ということで、出発が延びてしまいそうです。みなさん、すみません。
ということで、今しばらく短パン男が街を歩くらしいです。季節外れで、すみません。
早く出発地点に辿り着きますように!ナムナム!
長州武士
2007.11.9 佐賀を離れて
今日から一時佐賀を離れて、下関やら名古屋やら長野やらに行ってきます。
いろいろと大切な用事をしてきます。
佐賀に戻るのはおそらく16日、もしくは17日になるでしょう。
それまでみなさんサヨウナラ。
いってきます☆
長州武士
2007,11.8 「蓮」の字
名誉な役を仰せつかった。
下関の古くからの知り合いの方が新しい場所でお店を出すことになった。そのお店の顔である幟(のぼり)に筆でお店の名、「蓮」と書いてほしいというのだ。いつもお世話になっているので何とか時間を見つけて書いていく。
「旬の野菜と果物の店 蓮 れん」
紺の布地に白い文字で書いていく。「蓮」のしんにょうの末は心持ち長くして、末永く繁盛しますようにとの祈りを込めた。
気づけばすでに9日の朝が来ようとしている。
「蓮」にも、光差す朝が来ますように。
今日、下関に帰って直接渡します。
喜んでくれたら嬉しいなぁ。
「蓮」のお店の説明:下関市長府郵便局裏、マルショク(スーパー)横にできる小さな八百屋さん。釣り好きの亭主レンさん自らが厳選して仕入れる、おいしい野菜と果物の店です。レンさんや僕の文字に逢いたくなった人は是非足をお運びください。そしてひとつおいしいキャベツやリンゴなどを買うと大変ええことがあります。そう、店主の笑顔とかですね。
「蓮」をよろしくお願いします。
長州武士
2007.11.7 冷凍庫訓練
今日は冷凍庫訓練の日。
−25℃〜−30℃の世界に入って装備の点検や身体の状況を調べていくのだ。
前日、福岡である高名な登山家に出逢って装備に関して、またはアラスカに関しての情報をもらっていた。それによれば、少なくとも僕が考えている装備、揃えているもので方向性は間違っていないことが分かった。そして今日はそれをすこし実践に近い場所で試してみる。
初め、僕は短パンと半袖で入った。その途端(バリ寒い!!!)と思ったが、隣にはその会社のオーナーさんがいたので、「あ、なるほどこんな寒さなんですね。へえー、ほおー…」などとブツブツ言ってみたりしたものだ。
だがその後、下着から着替えてダウンジャケット、アウターまで3枚着ると全く寒さは身体に凍みてこなかった。
5分経過:手と耳に軽い痛み。耳はフードを被れば問題なし。汗で濡れた髪が凍っている。
15分経過:ポケットに入れている手はまだ動くが、これがハンドルを握っていたらおそらくもうかじかんでしまって動きにくくなっているだろう。
17分経過:足の先が冷たくなってくる。
25分経過:鼻先が痛くなってくる。脚も少しずつ冷えだす。
35分経過:ダウンを脱ぎ、下着とアウターの2枚になる、さすがに寒いが動けば問題なし。実際現地では、行動は下着とアウターか、下着とフリースという格好で動くことになるだろう。−50℃、体感気温で−70℃を下回る冬のマッキンリーやフォレイカーを登った登山家が行動中下着2枚とアウターのみであったように、行動中は身体から発する熱で体幹は温まるらしい。問題は手足の先である。
45分経過:手足の先に痛み。特に手の痛みは激しくなる。時計止まる。ライトは点く。
55分経過:動いていれば問題ないが、身体を動かすのをやめたとき途端に寒さが襲ってくる。
1時間経過:大体僕のイメージ通りであり、今回はこの辺で終了。
僕はまだすべての装備を揃えているわけではない。頭に被る目出し帽やフェイスマスク、首に巻くウォーマー、手袋やダウンのミトンにウールの下着、フリースや靴下や防寒靴など、これらを揃えればいまよりはもっと寒くても対応できるはずだ。ただ今回は風雪なしなので、もちろんその辺のことも考慮して謙虚に謙虚になって万全を期していきたい。謙虚になって。
寒さのスタンダードが普通の人に比べて低いと思うのでもっと寒くても耐えられるとは思うが、何度も書くように一番の問題は手足の先である。これに関しては最後の最後まで最も気を使うが、解決方法は結局のところ、ないのかもしれない。気をつけるしかない。
出発までにはまだここで訓練をさせてももらう。今度はテントを張ってその中で本でも読みながら日記なんかもつけながら、数時間はいようと思う。
アラスカ、どんと来い!
長州武士
2007.11.6 新りょーちん号
銀と青のキレイな車体でずっと僕とともに旅を続けてきた愛車「りょーちん号」。
今回の旅でも少し整備をして彼(りょーちん号は男)と一緒に旅に出るはずだった。しかし彼の傷ついた身体を眺めていると、これ以上酷使してはいけない気になってきた。前回、南米の旅では激しい環境の中、重い荷物を抱えて僕と一緒に毎日走ってくれた。もしこのりょーちん号のフレームが折れてしまったら僕はとても悲しい気持ちになる。だから彼には日本で見守ってもらうことにしていた。
新しい2代目りょーちん号が手元に届いた。まだまだ初代りょーちん号と比べるとお尻が青いというか若いというか、そんな感触は否めないが、とにかく少しでも部品を取り替えて先代のような感触に近づけたい。
そう思いながら、初代を眺めていたら、自転車屋のマスターが「フレームが曲がってますよ」と言った。
ウソ!と思わず口から出そうになる言葉を抑えつつ、その箇所を注意してみると、確かに愛車のフレームがわずかに曲がっていた。これまで気づかなかった。フレームではなく車輪に問題があるとばかり思っていたのだ。
フレームが曲がるほどの衝撃……考えられるのはただひとつ。前回南米の旅の途中、パラグアイでトレーラーに後ろから追突されたときしかない。
フレームが折れることは滅多にないと思う。しかしもしも初代で行っていたら、フレームには相当な負担がかかってしまったはずだ。ことと次第によれば最悪の状況だってあり得た。2代目を頼んでおいてよかった。
白と黒の新りょーちん号に改めて挨拶をする。これからはキミとともに旅をするんだ、よろしく頼むね。
まだまだ若い少し小さめの2代目は、傷ひとつない美しいフレームにたくさんの光を集めて今にも動きたそうな表情だった。
そして初代りょーちん号、日本で僕らの旅を見守っていてほしい。
いままで傷に気がつけずごめんな。
そいで、いままで一緒に走ってくれてありがとう。
長州武士
2007.11.2 身近な人からのニシノ評
自分は周りの人からどう見られているのか。
おそらく多くの人が気になるところであろう。
殊に肝っ玉の小さい僕は、誤解はされたくないなどと、やはり肝っ玉の小さいことを考えているのである。「このサイト見ただけではニシノは分かりませんぞー!」と叫んでしまいたくなる。
ということで、ニシノとはどういう人間なのか、最も精神的に身近な男女二人などというものにコメントをもらった。
身近な男性のニシノ評:明るく真面目。適当そうなそぶりをみせるが、実は堅く、どうでもよいことに固執することも多い。誰にでも気持ちよく接することができるが言うべきことは言う。知識はなくとも口がうまいので人を丸め込める。
身近な女性のニシノ評:絵に描いたような明るく素直、マジメな性格。ありとあらゆる年齢層との会話を好む。とりわけ無類の子供じいさんバアサン好き。近年は善人面、馬鹿面、あほ面、偽善者との評判も絶えない男子。自分では出身地の長州になぞらえ、時折恐れ多くも長州武士などと名乗ってしまえる厚かましさも兼ね備える。
さて統括を。
西野旅峰とは、明るくマジメで誰にも愛想よく接することができるが……
善人面、馬鹿面、あほ面、偽善者であり、口がうまいらしい。
なんかいやなヤツやな。
長州武士
2007.11.1 一日ヒーロー
山間の小さな三瀬小学校と三瀬中学校で話をしてきた。
低学年から中3まで最後までよく顔を上げて話を聞いてくれたと思う。みんな、本当にありがとう。反応がすこぶるよく、こんなに素直な子たちがいることに何だか嬉しくなる。話をさせてくれてありがとう。
話が終わってから、小学生たちに引っ張りだこだった。
「おれね、おれね、おれもね、自転車もっとるばい!」
「先生(僕のこと)、先生、一緒に教室に行こう(手をつないでくる)」
「にしのさん、おれたち合奏するけん、音楽室ば来て!」
「おれたち、「よさこい」すっけん、こっちおいで!」
「あの、握手」
「おれも!」
「自転車乗らして!」
「うちも乗るー!」
…………
子どもの笑顔がとても好き。たぶん僕が一番いい顔をしているのは、子どもたちと接しているときだろう。
学校を離れるとき、正門に続く道の両側に小学生たちが並んでいた。
「また来てねー」
一日、僕はヒーローだった。
後記 : ヒーロー……だったような気がした。
長州男児
2007.10.28 テント、シュラフ、ダウンジャケット
テント、シュラフ(寝袋)、ダウンジャケットが手に入った。
テント、シュラフは近くのアウトドア専門店(ベースキャンプ)からのカンパである。帰ってきたら講演をするという約束で。後、無事に帰ってくるという約束で。ダウンジャケットも格安のものを取り置きしてもらっていてそれも購入した。初めてのダウンジャケット、ふわぁ、あったけえ……
「こんなあったけぇ物があれば日本の冬なんて怖くないのぅ」なんて思ってしまう。空色のダウンジャケット、結構お気に入り。
この間までテントを陰干しにし掃除をして乾燥させた。これがこれから僕の家になるんだと思ったら、テントがとても愛おしくなる。家の中では−25℃対応のシュラフ(寝袋)に入って寝ている。これまで部屋の中でも一桁台(6℃〜8℃とか)の生活をしてきたニシノ。しかしこの度のテントもシュラフもダウンも、いつもの佐賀での生活よりずっと快適かもしれない。
長州男児
2007.10.26 黄色い声の妄想に嬉しく悩む
本日、誠に大それた舞台で講演をしてきた。佐賀女子短期大学や佐賀女子高校、幼稚園や保育園まで抱える旭学園という私学の創立110周年記念講演、それである。
知事や市長や偉い人たちがスーツを着てズラッと勢ぞろいする集い。1800人収容の会場。中々のところではないか、フフフと汚い格好の僕はニヒルに笑ってみた。
だが僕には悩みがあった。それはこの私学が「女」短であり「女子」高であるということだった。どうしよう。講演中、黄色い声が飛び交ったらどうしよう。花束抱えた女の子が「髪が素敵です」なんて言ってくるかもしれぬ、どうしよう。ああ、嬉しいどうしよう、などとひそかに悩んでいた。
結果、何もなく、無事に、終わった。
いまはただ秋の風が街中を通り抜けるだけだ、なんて小説風に言ってみたら、先日街中ですれ違った女の子(女子高生)が「西野さんですよね!」、スーパーのレジのお姉さん(女子短大生)が「リョオさんでしょ!」なあんていうこともチラホラと。
おおお、冬を通り越して春も近いぞ!いやぁどうしよう、これからこんなことが増えるのか、恥ずかしいけど嬉しいぜヌフフと、一人黄色い声の妄想にニヤけていたら、その数人でそんな嬉しいことは終わってしまった。佐賀にも冬の気配が漂っている。
長州男児
2007.10.25 芸のうじんはやめて……
先の東部小学校からの感想の一部が届きました。
「にしのさんはぐるぐる頭だったからなんでかな?と思いました」
「ひつもん リョオチンゴオーはパンクしなかったんですか?」
「わたしは、しょう来芸のう人になる予定だったけど、(芸のう人はやめて)自転車で日本一周したいと思います」
みんなグッと来る感想を寄せてくれるのう。
きっと思ったことを素直に書いてくれたんやろうのう。
みさきちゃん(仮名、おそらく8歳)、ぐるぐる頭は天然パーマだからですよ。
たかゆきくん(仮名、たぶん7歳)「パンク何回したん?」のひつもんは結構多いのですが、たぶん50回くらいしましたよ。
それにしても……3番目の子。
ゆうこちゃん(仮名、きっと9歳)はとても素直で感じやすい子だったのだろう。
僕の話を聞いて、花の芸能界から汗に塗れる旅の世界へ。
こっちの世界へようこそ!と僕は言いつつ、若干の不安も覚える。
ガラッと方向性を変えたゆうこちゃんからは、20年後香水の匂いではなく旅人の匂いが漂っているのかもしれない。
でも……その後「責任とって」といわれたらどうしよう?
ご両親からも「あんたのせいで、ゆうこはギャー!」などと非難を喰らったらどうしよう?
僕は一人の娘さんの花の人生を、汗臭い人生へと変えてしまったのだろうか?
講演は、だからどんなときでも緊張する。
滅多にないけれど、芸能界から旅の世界へと人生設計を変えてしまう子がいるように、自分の話で何かが変わるかもしれないからだ。
まったく持って責任重大なんだけど、この子の責任どうやって取るべ??
長州男児
2007.10.21 わたしだったら「ドキドキ」です
佐賀県の中央部に多久市という小さな街がある。その中にある小さな小学校で「人旅南米」の講演をして子どもたちと絡んできた。
小学校の全児童相手に話をするというのは、実はとても難しい。一年生や二年生に分かるように話をしながら、高学年の児童を飽きさせないように努めなければならないからだ。もちろんその反対も然り。けれど今日の児童たちにその心配は必要なかった。低学年も高学年の児童も始めからとても喰いつき(反応)がよく質問に対して答えが何倍にもなって返ってくる。質問に答えて話が中々進まず、困るくらい嬉しかった。
3年2組の児童の感想をすぐに渡してもらった。
「次の旅アラスカはさむいからかぜをひかないようにがんばってください。さみしくなったらぼくたちのてがみを見て元気をだしてください」
「じてん車でたびしていたら、どういうきもちですか。わたしだったら『ドキドキ』です」
すげえ……こんな感想、大人やったらゼッタイ書けん。胸がキュウキュウ鳴る。
「わたしだったら『ドキドキ』です」
そんな手紙もらって、オ、オレの方がドキドキっす……ありがとう。
寂しくなったらみんなの手紙見るよ。
子どもが好きだって言ったらどこか「偽善者」に聞こえたりするかもしれん。
まぁええ、構わんっちゃ。
「偽善者」は結構好きじゃ。
やけど、子どもはもっともっと好きじゃ。
長州男児
2007.10.20 バイクをふかしながら帰る子
バイクをふかしながら帰る子がいる。ただそれだけで変わり映えしない日常はただならぬコントラストを帯びて激情的な音ともに秋の日を駆け抜ける。僕は若干頭を痛くしつつも、その子と地球の平和を祈ってしまう。言葉を交わさない一方的なすれ違いだが僕の中にその子は激しいタイヤ痕を残していく。僕はバイクは好きだが、バイクをふかしながら帰る子にもやさしい気持ちで好意的に接っすることができたらナと思う。
以前から街中でよく見かけるバイクをふかしながら帰る子。男の子もいたし女の子もいたが、見ようと思わないのに度々よく見かける。
この間の夜、佐賀では大きな南バイパスという道路をバリリンバリリン!とリズムよく蛇行を繰り返す子どもたちがいた。周囲に誰も走っておらず、信号は赤。彼らはどうするのかと見ていたら、バリリンバリンプスン……ときちんと停車した。
人を見かけで判断してはならぬ。赤信号突破するのかもしれぬという考えが若干0コンマ何秒か頭をかすめた僕は自省し彼らにぬるい視線を送ろうとした瞬間、再び闇を切り裂く音がした。
バリリンバリリンパプパプー!彼らは赤信号を突破して動き出した。停まったのは煙草に火を点けるためだったようだ。
バイクをふかしながら帰る子は教えてくれている。
オイたち、がばいタイクツっさーと。
バイクふかしながら帰途に着ける(または夜遊びに行ける)佐賀は平和かとさーと。
夜んごとなったらクルマが走りよらんけん佐賀はがばいよかとよ。ついでに星もがばいキレイかとよ。
バイクをふかしながら帰る子に逢ったら、そのときは自転車で競争をしてみよう。
負けてなるものか。そして心の友になったらエラそうにこう言うのだ。
「山口もぶちええけぇ!今度テント担いでやってきな!」
長州男児
2007.10.18 本を読みながら帰る子
本を読みながら帰る子が風景の中にいる。ただそれだけで変わり映えしない日常は鮮やかなコントラストを帯びて知的な輝きを秋の日に放つ。僕は幸せになるし、その子の幸せを勝手に祈る。言葉を交わさない一方的なすれ違いだが僕の中にその子は深い足跡を残していく。僕は道草を喰い遊びながら帰る子は大好きだが、本を読みながら帰る子もたまらなく好きだ。
以前何度か街中で見かけたことのある本を読みながら帰る子。男の子もいたし女の子も見かけたが、ここのところそんな子を見なくなった。そんなことを考えていた先日、郵便局の角で本を読みながら帰る女の子とすれ違った。その子は学校で借りたのか、背表紙に整理番号の貼ってあるハードカバーの本を両手でしっかりと抱えこちらへ歩いてきた。僕の心がパアッと明るくなったことなどまったく知らず、夢中になって本の世界に入っていたその子の意識は完全にここにはなかった。本を読む行為に夢中になっている女の子の姿は、とても知的で凛々しかった。きっとこの子はステキな女性になるだろう。周囲を見渡せば赤信号でも自動車で突っ込む大人がいて、立場上怒れない郵便局員にストレスをぶつける大人がいて、平気で唾を吐きゴミを捨てながら歩く大人がいて、だからなのかその中で本を読みながら家路に着く子のその姿は一際輝いて見えた。
本を読みながら帰る子は教えてくれている。
それぞれがそこにある風景の一構成員だと。
本を読みながら帰途に着ける世界の美しさと、その尊さを。
それを感じられる大人であるようにと。
本を読みながら帰る子にまた逢いたい。
オ、オレ、キミたちのこと…… ぶち好きっス!!
長州男児
2007.10.13 西野旅峰を応援する集い
エジソンが発明した電球のフィラメント以上にクルクルとした僕の髪は、多くの人のやさしさに身悶えし、さらにクルクルと恥ずかしげに頭の上で踊った。
自分で自分を応援する集いの宣伝をしながら迎えた当日。
集いは19時からだというのに各地から集まった人々が15時に会場に集まり、様々なセッティングや物品販売のためのブースをつくってくれていた。
僕は一人パネルをどのように展示したらよいかと考えるフリをしつつ、ここに集まってくれている人たち、「今日みんな引き連れていくから!」とか「ゼッタイいきます」、といってくれている人たちを、一人ひとり思い返していた。
一番最初に出逢ったのはどこやったっけ?
何でこんなに仲よくなったんやろう?
僕は腕を組み、ムズカシイ顔をしながら何かを考えるフリをしていた。
その間でも人々は会場の設定をどんどんとしていく。
「この写真はここに置いたほうがよかかね!?」
「うん。そのほうがインパクトがあるね!」
「これは吊り下げた方がいいっちゃろうか?」
「どぎゃんすっかねー?」
南米でも、何でこんなに多くの人が僕を助けてくれるんやろうかと思って何度も泣きそうになったが、それは日本に帰ってからも同じだった。
僕のために動いてくれる人々を見ていると込み上げてくるものがあったが、しかしその感情を拾うことはせず、何も考えないですむように努めるため僕はみんなの輪に入っていった。いまだ泣くのを我慢するクセは直っていない。
19時には多くの人が集まり少し遅れながらも式は進行していった。
僕のクセ毛は今夜もいい感じでまとまりながらクルクル回っている。
このクルクル度は調子がいい証。
程よくまとまり程よくクルクル。
オカリナ、ギター、歌が会場に響き集いが始まった。
舞台裏で一時音楽に聞き惚れながら、僕は一人精神の統一に入っていく。
(本当にありがとうございます。
ここに集まってくれた方々へ、いま僕が返せるのは一生懸命に話をすることです。
いまの僕にできる精一杯をやらせてください。
自分の役割を果たせますように心を込めて話をさせてください……)
いつもに比べれば祈りの時間は少なかったが、うまくいきそうな感じはあった。
それはここにいる会場の人々が僕の味方だと知っているからだ。
人が与えてくれる安心感は人を心強く支え、そして自由にする。
いつものテーマ曲が流れ僕はステージへ歩き出す。
何とか話を終えて再び舞台裏に戻った。
まだ拍手が聞こえていた。
集いも終わりに近づき主催のボスが挨拶をしている中、僕は会場に集まっている多くの方々の顔を眺めた。
会場の浪漫座へ、佐賀市や近郊から、または唐津や福岡からも僕の集いに参加をするために140人程が集まってくれた。
この人々らが僕の核となる。
いましっかりと、僕の核になっている。
今夜のことを心の拠りどころにしながら僕は旅に出ていく。
「人生は出逢いの芸術」だとある方から教えられた。
さしずめ今夜の集いは、ひとつの芸術であったと思う。
視と聴と心の調和。
人と人とが出逢う場として。
人が生きる中でこの出逢いの螺旋(らせん)というものは、エジソンのフィラメントより僕の髪のクルクルなんかよりよっぽど複雑に深く温かく美しくクルクルと僕らを取り巻いているのだろう。
お越しいただいた皆様、心から感謝しております。
皆様の心、確かに受け止めました。
無事に帰ってくることを第一に旅に出ます。
またいつも応援していただいている皆様、遠くから応援していただいている皆様、深く感謝しております。
ありがとうございます。
長州男児
2007.10.6 愛の手ぬぐい
福岡にて浪人同盟の集いがあり出席をしてきた。
僕は高校を卒業してから一年間、浪人生活を送っている。そこで得た友人は本当にありがたく、今でも堅い絆で結ばれている。
みなで食べながら飲みながら笑い合って少しして、リーダーから紙でできた包みをもらった。
「なんこれ?」
まったく何の予想もしていなかった僕は、間の抜けた顔で間の抜けた質問をした。
「開けてみ!」
みなの顔が明るくほころぶ。
開けてみると、中から一枚の手ぬぐいが現われた。
「うわ、なん、これ、ちょー。ちょーとすげえやんこれ!」
みなから一言ずつ旅の応援の寄せ書き。
「泣く?泣く?」
誰かが訊いた。
「イヤ、泣かんけどサ……一瞬まずかったわ……」
これは愛の手ぬぐい。
みなの思いがこもった手ぬぐい。
一人ずつ首に巻いて、匂いまでつけてもらった、匂いつきの手ぬぐいである。
帰りのバスの中でじっとそれを見つめる。
窓の向こうにいるもう一人の僕は、旅の中で見せる顔をしていた。
きっと僕は次の旅で、この日を何度も思い出すことだろう。
ありがとう。
ぶち嬉しい、ぶち喜んどる!
大切に持っていくけぇ!
長州男児
2007.10.3 旅の準備
アラスカから入り、そこから南下。
そのアラスカ入りまで残すところ、約二ヶ月である。僕の旅の準備も少しずつ本格的になってきている。
今回の旅で一番気をつけているのが、当然ながらアラスカの寒さである。
寒波が来ればあっという間に−30℃、いやいや−50℃以下になってしまうといわれる地だ。僕はできる限り寒い体験をした人に逢いお話を伺わなければならない。どこかに寒い思いをした人はいないものか。
さて今回の旅でいつもと特に異なるのは衣服である。
というのも、下着にお金をかけることから始めなくてはならないからだ。僕が考えているのは、遠赤外線により保温する化繊のものを一番下に着て、その上に発汗によって発熱する素材のものを重ねて着、(もしかしたらこの上に化繊のシャツを着て)更にフリース素材のものを着、ゴアテックスのジャケットとなる。休むときはジャケットではなくダウンになるだろう。
手足は問題で、その先に発汗によって発熱するクリームを塗り、フリース素材のインナー手袋、更にウールのミトン、重ねてオーバーグローブ、そしてできればハンドルに防風、保温できるものを作りたい。
足の先に発熱するクリームを塗り、発熱素材の靴下にウールの靴下、そして寒さに耐えうる靴、できればこれまた防風、保温できるものをぺダルにつけたい。
頭はエアリー感たっぷりの我がクセ毛が温かさを演出し、その上から目出し帽、フリースのネックウォーマー、そしてジャケットの帽子を被るのだ。
前回、南米の旅で衣服に関して使ったお金ははっきりいって少ない。短パンとグローブを買ったくらいだ。
今回、ここにかなりのお金を割かなければならない。はっきりいって僕が衣服に関してここまでお金を使うということはすごいのである。だって普段でも、服を買うなんて滅多にないからのう。
前回、約6千円、今回約ズー万円。
更にこれらをテストしなくてはならない。
こういう服装でいいのか、汗をかくとどうなるか、汗をかいた後どれくらいで寒さが迫ってくるか、何時間もそういう世界で寝ることができるか……電子機器を保温するためにはどうすればよいのか、ガソリンコンロを温める方法、オートのカメラが作動するか、マニュアルを持っていったほうがいいのか、食べものはどうなるか、飲み物はどうするか、風が吹いたら、ケガをしたら、パンクをしたら…………
考え出したらきりがないほど問題は山積みである。
早い内に、知り合い方が営んでいる会社の−30℃の大型冷凍庫に入りテストする。
そこはどんな世界なのか、未だ夜半でも30℃近くの我が部屋では想像しがたいものがあるが、そろそろイメージトレーニングを現実的にする段階に来ており、少しずつ頭の中にはアラスカの白い大地が現われつつある。
長州男児
2007.9.29 新しい出逢いと再会と
我が家の近くにステキな茅葺屋根の家がある。
そこは「山口亮一記念館」といって日本の有名な洋画家の旧宅である。
本日、そこで「人旅南米」の話。
茅葺、畳、漆喰、床の間……
こんなところで話すのはもちろん初めてで嬉しい。だがもっと嬉しいことがある。
それは無名の男の単なる旅の話のために、遠くから来てくれた方やわざわざ日程を空けて聞きに来てくださった方、事前に感動的なメールを入れてから足を運んでくれた方やよく利用していたお店の元店員さん、はたまた自転車で日本一周中たまたま佐賀にいてたまたま広告を目にし僕の話を聞きに来て下さった方やこの近くのおばちゃんなど、本当にそういう方との嬉しい出逢いがあったということ。
本当にありがとうございます。
僕の話を聞きに来て下さって本当にありがとうございます。
いつも思う。
旅の途上で導かれた出逢いのひとつひとつは、ここに帰ってきてからの新しい出逢いをも常に導いてくれている。僕にはそれがとてもありがたく感じられ、同時に自分の使命を明確に見つけなければならないという思いに駆られる。日々誰かと出逢い、ここでも誰かに助けられお世話になる。それ自体わるいことではないと思うが、こんなにもたくさんの心をいただいているからには、早く何らかの恩返しをしなくてはならないのではないだろうか、と。
話がずれた。
今回、大学からの親友の一人が佐賀に来ていた。彼はこの講演のときに、音楽を流したり、パソコンの操作をしてくれたり、旅Tシャツの販売をしてくれたりとたくさん協力してくれた。改めて、ありがとう。
新しい出逢いと、再会と。
僕はやはり出逢いの中に生かされている気がする。
土曜日の昼下がり、たった90分間だったが僕はとても嬉しい思いだった。
茅葺、畳、漆喰、床の間。
縁側から少しだけ秋の気配を乗せた風。
勢いをなくした斜めの陽。
額の中の山口亮一が「オレのうち、ええやろ!?」と語りかけている、ような気もした。
長州男児
2007.9.27 佐賀帰還
無事コンクリートジャングルを抜け、拓けた平地に戻ってきました。
今回の東京行きはこれまでと比べてさほど疲れることもなく、楽しく有意義に過ごせたように思います。
今回はアネキの世話になったのう。タンキュウ、自由理。
さて。
今回東京に行ってよかったのは、僕がこれからしていきたいことへのアプローチの仕方をある方に教えていただいたからです。
それを聞く限りでは、たくさんの問題があり、解決すべきことも多々あり、やらない方がむしろいいこともあるということを学びました。
また東京には行くことになるかもしれません。
僕は今の自分よりももっともっと背伸びをして自分を成長させようとする傾向があります。それがうまくいけばいいのですが、所詮無理なことをするのですからよく失敗をする。自分が失敗するだけならまだしも身の回りの人を振り回すことがある。だからもう少し身の丈にあった行動をしていくべきでしょう。最近、そんなことを思っています。
僕に大きなことはできません。
僕にできるのは、目の前の小さなこと。
僕にできるのは、今の自分にできる小さなこと。
僕にできるのは、たくさんの人と力を合わせること。
でも、自分らしさは失わず。
型にはまらず、縮こまらず。
それが自分で分かっていればいい。
その上で自由に考えればいい。
”なぜ旅をするのか”
大義のためにするわけではありません。
けれど、旅をしながら等身大の自分にできることがあれば、やった方がいいでしょう。
それはこれから少しずつ考えていきたいと思います。
”自分の身の丈にあったことをせよ”
コンクリートのジャングルで教えられました。
なかななよい首都進出でした。
長州男児
2007.9.21 首都散策
首都到着。
今回首都に行ったのは、旅の装備に関する下調べと収集、および情報を仕入れることでした。装備に関してはたくさんのアウトドアショップや自転車屋を廻り、冬山に登っている人や登山家らしき人、自転車で北米を走っている人を捕まえては何かと質問をしてきました。
僕の自転車世界一周「人旅地球」は、アラスカという大変寒いところから始まります(たぶん)。
ですので下着類から高品質の厳冬期の冬山でも通用するものを選択していきます。
最近は遠赤外線を利用して保温するものや、発汗によって発熱するものなどスンゴイ物があります。もちろんその分高価格ではありますが、下着類は直接命に関わるものですので、これらにはお金を気にしてはならないと考えます。下着の上にはフリースやダウンなど、チャックがついていて体温の調節がしやすいものを仕入れるつもりです。また冷え性の僕が最も気にしているのは、手足の末端の保温です。一番凍傷にかかりやすい部分ですから神経を尖らせます。今の段階で自分なりに対処法は考えていますが、それが通用するかどうかは実際に試してみなければ分かりません。例え事前訓練で大丈夫であったとしても、僕は更に保温できるようにしていくつもりです。
服装については大体イメージができつつありますが、自転車の装備については未だ迷っている点があり、今後早めに対応をしていかなければなりません。
長州男児
2007.9.20 首都進出
私用で首都に行くことになりました。
帰ってくるのは27日。
とりあえず、首都に行ってきます。
みなさん、無事を祈っておいてください!
いざ、コンクリートのジャングルへ!!
南無南無!!
長州男児
2007.9.19 続・敬老の日
敬老の日から2日経った本日。
2日遅れで大家のばあちゃんにプレゼント。
アパートに住む中国の留学生たちにお願いして。
一人一言メッセージ。
一人100円ワンコイン。
「おばあさん、ここでお世話になりますから、お元気で! チョウ」
「いつもお世話になっています。おばあさん、ずっとお元気でネ! チュン」
「毎日ありがとうございます。おばあさん、お元気でいてネ! ショウ」
マルボウロを佐賀で初めて創ったという老舗「鶴屋」にて。
マルボウロを箱に詰め詰め熨斗(のし)には「きもち」と平仮名で。
本日、他のみんながいないので隣のチュンと二人で手渡し。
「あの、これ。敬老の日のプレゼントです。いつもありがとうございます」
「いつも廊下汚くしてスンマセン。これからもよろしくお願いします!」
「まあ、なん、なんて。ほんとにアレマア」
帰り道。
「ばあちゃん、嬉しそうやったね」
「ばあちゃん、ちょっと泣きそうやったろ!」
「チュン、ありがとう」
「こちらこそ」
敬老の日(二日遅れだけど)。
身近なご老人に感謝を。
ご老人が笑顔やったら。
世界はもっとシアワセ。
長州男児
2007.9.17 敬老の日−ご老人を敬う日
敬老の日。
僕のじいさん方はすでにこの世にはいないが、父方母方、どちらのばあさんも健在である。ありがたいことだ。
父方のミヱコばあさんは今年87歳。母方のチトセばあさんは今年84歳。長生きしてね。それが一番。
最近、どちらのばあさんも小さくなった。段々と背が低くなってきているのだ。そんでそんで、カワイクなってきている。ホントですよ、うちのばあさん方はカッワイイんだから!
この間、母方のばあさんに逢いにいった。
「ほんで、オメエはナニか、またどっか外国に行くんじゃあるまいの?」
突然、ズバッと核心を突いた質問が真正面から飛んできた。
「ああ、あっ、あのね、ばあちゃん。うん……ちぃっとばかしベンキョウしに行く。ベンキョウをネ、ウン。ハハハ」
下から舐めるように見上げるチトセばあさんの目が語る。
オマエは大学まで行ったんじゃろうが、これ以上ナニを勉強するほじゃ!?と。
「マアマァばあちゃん、大丈夫すぐ戻るけぇ、ハハハハハ……」
ばあちゃん。
ミヱコばあちゃんもチトセばあちゃんも。
心配かけてごめんなさい。ちょっと外国に行って、たくさん勉強してきます。健康に気をつけて、すぐ帰ってくるけぇ。んん、分かっちょる分かっちょる、帰ってきたらしっかり親を安心させますけぇ。ばあちゃん、大丈夫よ。ばあちゃん、ごめんね。
ばあちゃん、心配かけてごめんなさい。
ばあちゃん、いつもありがとう。
ばあちゃん、大好き。
敬老の日。
ご老人に心痛をかけさせてはならないのに、僕はずいぶんと不孝者だ。
いつか何倍にもして返すつもり。
ばあちゃん。それまで元気でおって!!!
長州男児
2007.913 小さな友だち
最近新しい友だちができた。小さな友だちだ。名前はモヤリー。
彼女は夜にしか姿を現さない。
決まって22時以降の、少し風が涼しくなり始めた頃に白くて艶かしい肌をちょこっと覗かせる。今夜のアタシもイイデショ?そんな感じで。
蚊取り線香の臭いがキライらしく、僕に「アタシ、蚊取リ線香ダイキライ!」と体中で抗議する。だからここのところずっと蚊取り線香を点けていない。
今夜もお腹が空いているらしく、僕にはちっとも構ってくれない。
「おーい、たまには愛想よくしろよ」
僕の声はむなしく網戸の向こう側に消えていく。
毎夜現れてくれるこの小さな友だちが、最近愛おしくてたまらない。
見るからにひ弱くてちっぽけで壊れてしまいそうで……
しっかり生きろよ、モヤリー!
今夜もおやすみ、小さな友だち☆
(注 : 人間の友だちも少なからずおります)
長州男児
2007.911 親切な貼紙
僕が暮らしているこのアパートは、かなり街の中心部にあるにもかかわらず家賃が1万2千円のかなり良心的なところである。
管理をしてくれているおばあさんは、かなり親切で廊下のいたるところに貼紙がある。僕は好きだ。
「皆さん!ゴミはも少しきちんと出しませう!」
「ベランダに出るときは、きちんとスリッパをはきましょう!」
「夜の10時以降は大きな声を出さないでください!!やかましくて寝られませんから!!」
「蛇口はきちんとしめませう!」
…………
先日、新手の貼紙がトイレに貼り出された。
「トイレットペーパーを切る時は、上のフタを押さえてペーパーを横に切るとよい」
僕は、このおばあさんの貼紙がかなり大好きなのである。あ、モチロンばあちゃんもかなり好き。
長州男児
2007.9.4 正しい青春の汗キラリ!
すぐ隣の共学の高校は、夏休みの最中もずっと体育祭なるもののために時間を費やして応援の練習や競技の練習をしておった。僕はそれを見ながら、ずいぶんと大昔の自分の高校時代を思い出した。
僕の高校は伝統たっぷりの男子校だった。「体育祭」などではなく、「体育大会」であった。
100メートル走から始まり、200メートル、400メートル、1500メートルや走り幅跳び、砲丸投げ……午前中は陸上の部で、ホンモノの競技しかなく娯楽性のあるものはほぼ皆無だった。そこに女子なる存在やキイロイ声などというものがあれば、それはそれで「正しい青春」であったのだろうが、別の意味での「正しい青春」しか存在しえず、当時の僕らはひたすら体育の延長を一生懸命にしていたのである。BGMは男共の低いダミ声だけであった。
午後も水泳の競技を争う、やはり体育の延長であった。そこでは泳げないものも強制的に泳がされ、あの裸体度95%のモッコリ水泳パンツに身を包んだ750名前後の男どもがウジャウジャと水に溺れるアリの大群のようにプールに入り乱れていたのであった。
隣の高校の体育祭は、キレイな音楽と男女の正しい声援が交じり合ったマサシク青春の「体育祭」であった。我々の体育大会も最高に楽しかったのだが、今にして思えば、僕にも別の青春の可能性もあったのではないかと思えるのである。
そう例えば……共学であったらば「それなりに正しい少年少女の恋の行方」などもあったのではないか。異性の汗の臭いにドキドキし、異性の書く丸文字なんぞにドキドキし、異性のなんてことない「オハヨ!」にドキドキしたりなんぞもあったことだろう。ラヴロマンスに溢れた別の青春では、ニシノもいち早くロン毛パーマなどで時代を先行していたかもしれないではないか!惜しまれる。それは非常に惜しまれると今にして思うのだ。
彼らとは違うタイプの正しい青春時代を過ごしたニシノ。
そこでは同性の汗の臭いがやるせなくヤル気を失わせ、同性の書く汚い文字は判読不能で、同性のゲップや痰を吐き出す「グァ、ぺッ」という音が頻繁に聞こえ、休み時間は早弁の和洋中混ざった香りに当時人気だった柑橘系のスプレー臭が混じり、柔道着からは酸っぱい臭い、ダミ声やチョークの粉や紙くずも舞い、エロ本も舞った。別の意味のマサシク青春であった。
隣の高校の学生は、今日の体育祭で間違いなくキレイな青春の思い出を作っただろう。道ですれ違った高校生は最高に輝いていた。汗が日に焼けた顔にきキレイだった。
ああ、そうか。
青春とは、やり直しのきかない、その人のたった一度しかないものであるからこそ、やはり輝くものなのかもしれないな。
豊高男児
2007.9.1 佐賀大学付属中学校講演
みなさんは、津軽三味線兄弟の、阿部金三郎、銀三郎という御仁をご存知だろうか。
本日は佐賀大学付属中学校の学年活動で話をさせていただいた。
「夢に向かって」というテーマの下、僕が『人旅南米』のスライドを交えながら話をし、第二部で阿部兄弟が軽快なトークでみなを爆笑の渦に巻き込みながら力強いべべベンベン!という三味線の調べを奏でた。
中学生のみんなは受験勉強で忙しい(人は忙しい)夏休み最後の時間だったのに、たくさんの生徒が僕の目を見て話を聴いてくれた。本当にありがとう。ステージで話をするものにとってこれほどありがたいことはない。また保護者の方も熱心に聴いてくださった。ありがとうございます。
僕の番が終わって、阿部兄弟の出番だった。この兄弟は津軽三味線の全国大会(’05年)でともに兄ちゃんが優勝、オトウト君が準優勝を果たした経験もある実力バキバキの御仁なのである。もちろん他にもタイトル多数。西野ごときヘナチョコ男がご一緒してよいのか、などといった批判が諸氏ご父兄から出そうなものだが、それは僕も感じていることだからお許しいただきたい。
その阿部兄弟のすごいのは、演奏を凌駕するかもしれぬトークである。さすが幼い頃から人前に立っていただけあって、間の取り方や発した言葉など笑わせるツボを押さえていて思わず唸ってしまった。すげぇすげぇ!と。
第三部はその金さん銀さんとともにステージに立たせていただき、トークディスカッションなるものをしたのであるが、もう殆ど兄弟にお任せであった。彼らの話に「アー…」とか「ハハハー…」とか相槌を打つだけのニシノであった。ハハハー… また主催者の方がいつ手配したのか全く知らなかったのだが、おかん(母親)からの手紙なるものも届いており、若干昔を思い出したニシノは不覚にも若干目頭に熱いものを覚えてしまった。最近は若干涙もろいので大変困る。
さて最後に一言ずつ生徒のみなさんに気持ちを伝えたのだが、銀さんがこう言って締めくくってくれた。
「西野さんも僕らの家も、家族の仲がいい。『夢』と『家族の仲』には、何か深い関係があるのじゃないやろうか……」と。
家族の仲がよいから夢が叶う訳ではない。夢を叶えた人の家族が必ずしも仲がよい訳でもない。でもおそらく、家族の仲がよい家には夢が溢れていくだろう。僕もその通りだなと思うのである。
さて今日はたくさんの人に出逢えた一日だった。みんな、ありがとう。立場は大人も子どもも同じ、みな夢を叶える人。だから一緒に夢を叶えていきましょう!
話を聞いてくださった方々、会を主催してくださった方々には心から感謝いたします。
ありがとうございました。
長州男児
2007.8.28 ※ロシアならず、アラスカから出発へ変更
みなさま、申し訳ありません。
タイトルにも書きましたように、「ロシア」行きを取りやめ、世界の旅は「アラスカ」から出発することにしました。
ロシアを訪れるには、通常、「観光ヴィザ」を取得し入国するわけですが、日本におけるヴィザ取得は「何月何日にはどこそこのホテルに泊まる」という予定や事前にその「ホテルにお金を支払った領収書」など、必要な書類がなければ提出できず、それらが「右から見ても左から見てもバッチシどうじゃ!文句あっか!」というくらい揃ってやっとヴィザの申請ができるというものでした。自転車での旅、そしてテント泊を考えている僕には、上から頼まれても下から命令されてもそれは不可能というもの。また観光ヴィザであればたったの30日間しかロシア国内に滞在できないので、他のヴィザを取得しようとしておりました。しかし、僕の準備不足と甘い考えから、ロシアを自転車で旅するためのヴィザ取得は現在のところ難しく、アラスカから出発ということになってしまいました。
旅Tシャツをお買い上げいただたみなさまには、ロシア行きのことを書いた説明の紙を入れておりましたが、結局ロシア行きはできなくなってしまいました。本当に申し訳ありません。格好つけた文章をお見せしまして恥ずかしい限りです。ただロシア、むしろシベリアという土地は視界から消えてしまったわけではありませんから、機会あらば訪れてみたいと思っています。
アラスカから出発とはいえ、ロシア同等の厳寒地です。現在は山の経験者の方々から情報をいただきながら、寒さに対する心構えや対策などを組み立てているところです。また自転車の改造や修理及びメンテナンスに取り掛かっています。
最後に。
今後、治安や自然環境、資金や自分を取り巻く様々な要因で突如計画の変更がなされる場合もあります。その際はどうかお許しください。
長州男児
2007.8.22 やはり季節の移ろい……
エアコンなし、扇風機なし、団扇あり。
風なし、雨なし、湿度あり。
金なし、彼女なし、(自分の未来に)不安あり。
ハッ、何を書いてんだか僕は……
佐賀の新しい部屋に越してきて4ヶ月。佐賀市の中心部に近い立地というのに家賃1万2千円。以前の部屋に比べると若干高くはなったが、雨漏りはせずドアもきちんと閉まりナメクジはおらずネズミもいない最高級の部屋だ。しかし、寝苦しさの面ではここも変わりはなかった。
夜、目を閉じてもその暑さゆえに眠れず、己の体温であたたまったタオルケットの暑さで眠れず、べとつく己の汗と脂で眠れず、眠っているはずなのに何故か疲れてしまっているという毎夜であった。寝苦しい夜が来るのが怖かった。
そんな毎夜が続いたが、このごろ変化が現れだした。いくぶん涼しくなってきたのである。これを一番良い表現で表すとすると、「ピークを越した」とでも言うのか。そう、暑さはピークを越してきているのだ。一番良い表現というほどではないけれど、間違いなく季節は移り変わっている。夏だ夏だといっているうちに、すぐに涼しくなり秋を迎えることになるだろう。秋が来れば本格的に、僕の季節も動き出す。
季節の移ろいを己の寝苦しさから、しみじみ感じ取れるこのごろである。
さて季節が移ろいゆくものであるなら、僕の旅も予想外に流れていくものである。旅の計画変更があるので、それについては次に書くことにする。
長州男児
2007.8.18 Barbarニシノ(出前床屋にしの)
本日、大学時代の後輩から「先輩、髪、切ってください!」という注文があった。
大学時代、僕はよく友人の髪を切っていた。いや切らせてもらっていたというべきだろうか。ともかく、一時期は出前や出張も含めて一週間連続で髪を切っていたこともあるし、必ず一ヶ月に2,3度は髪を切ってくれという注文を受けていた。留学生の間でも知っているものは知っていた。よく切ったものだ。耳も切った。指も切った。前髪を切りすぎて友との関係を切りそうになったこともあった。そのおかげで腕もかなり上達したはずであった。
しかし最近、同期生たちは卒業して他の床屋に浮気をするようになったらしく、僕にはあまり注文が来なくなっていたのである。その中で彼はいつも私を裏切らず客としての貞操を堅く守っていた。
以前から「先輩、サッカーの試合前だからバッツリいってください!」、「今度会社の面接があるから面接官受けするものを頼んます!!」と言った具合に「Barbarニシノ(出前床屋にしの)」を愛用してくれていた。
今回の注文は「営業なので、それらしい髪型に!」である。何がそれらしいのか分かりもせず、ただ髪を短く切っただけの髪形を、彼はいつものように「マジいいッス!ありがとうございます!!塩焼きソバでも、ガッツリ食っていってください!!」とお褒めの言葉とともに料理まで出してくれるのであった。
一時期は佐賀のファッション界を背負って立っていた(はずの)「Barbarニシノ」だが、この頃は髪を切らせてくれる友も減ってしまった。寂しいものだ。
この文章をお読みいただいているアナタ、「Barbarニシノ」で髪を切ってみませんか。ぜひ切ってみましょう。
暑い夏です。今までにないサッパリとした、どこか吹っ切れた髪形にして差し上げます!
後輩よ、いつもご利用ありがとうございます。
またのご利用をお待ちしております。
長州男児
2007.8.15 終戦記念日
日本では、戦争が終わって62年。
だが世界に戦火は絶えず、人が死ぬ。
「イラクで自爆テロ。250人以上が死にました。」
もう慣れてきたのか?
250人が多いのか少ないのか、感じる以前にイラクでテロが起こるのは当たり前。
何も感じない。
感じたからといって何ができる?
「パレスチナで暴動。子どもを含む70人以上が犠牲に。」
「ダルフール地方の難民に銃弾。」
「チェチェン、警官隊が民衆に発砲。」
良い子のように顔をしかめたり見せて、その後で第3のビールをかっ喰らう。
感じない方が楽だからか?
感じても何もできはしないからか?
できはしないからと自分を安心させたいからか?
その方が大人らしいと考えるからか?
一応顔をしかめたりする。
良い子の道徳に従って。
感じてるフリをして。
そのうち、そのフリさえもしなくなる。
できなくなるのか?
日本では、終戦から62年。
62回目の、戦争は絶対に起こしてはならないという公と個、それぞれの誓いが行われるべき日。
そして、自分に何ができるか考える日。
長州男児
2007.8.13 仲間との再会
毎年必ず逢うようにしている仲間がいる。
高校陸上部の仲間である。
今年はみなそれぞれに忙しかったらしく全員とは逢えなかったが、毎年盆や年の暮れにはゼッタイ逢おうというみなの思いは嬉しくアツイものを感じる。変わらず高校の時のまま、アチイ何かを持ってくれていて刺激をくれる。サンキュ。
この仲間たちがいたから、僕の高校生活はスバラシイものになった。青春万歳やのう、今も青春やけどサ。
陸上部に入った理由を改めて思い返すと、この仲間たちがいたからやったことに気づく。彼らがおらんかったら僕は一体何部に入っていただろうか。キミらが優しい性格をしてくれていて、だからありがとう!
さて次に逢えるのはいつになるか。
僕は、おそらく今年11月に日本を出るだろう。暮れの集まりには出られない。それでも、次に逢える時は、「よ!変わってないのう!」ちゅう感じで逢うのだろう。
今年も逢えてよかったわ。
みんなサンキュ、次に逢えるときまでオトコ磨いとけや、オレも少しずつ磨いとくけ。
んじゃ!!
長州男児
追記 : 今年の夏は、いつも逢うようにしていた「浪人同盟」のみなには逢えなかったので、10月、予定をあわせて是非逢うようにしましょうね。
2007.7.30 無念無念で無念の日
野球に興味はない。
だが唯一、愛して愛して愛して止まない野球チームがある。
それが母校、山口県立豊浦高校の野球部。「とようら」ではなく「とよら」と読む。
本日、山口県の決勝で岩国高校に負けた。大変無念で残念でヤケ酒モノである。あ、豊高ファン以外の方はこの辺流して聞いてくださいマセね。
僕は陸上部だったが、高校時代、同じグラウンドで汗を流した野球部に(勝手に)親近感を覚えている。毎年いいところまでいって僕ら卒業生を楽しませてくれるが、今年はいっそう惜しかった。よくがんばった。
僕が高校入学する前の春に母校は選抜に出場しイケイケムードだった。当然熱が入っていた応援練習を幾度とこなし初めて下関球場で応援をすることになったとき、団長が僕らにビシッと一言こういった。
「お前ら!豊高男児は、絶対に相手にヤジを飛ばすな!!」
あの一言はかっこよかった。結局その夏は準決勝で9回裏に逆転されて負けた。
山口の代表になった岩国高校には、心から拍手を!豊浦は負けたけど、他校から豊浦に託されて渡されてきたたくさんの千羽鶴の夢も一緒に甲子園に持っていってください。みんな応援しちょるけぇネ!!
野球部のみなさん、在校生や卒業生、保護者の方々、本当におつかれさま。これからも夢を目指していきましょう。
さぁて。ヤケ酒するお金もない。独り言をブツブツ言って悔しさを忘れるとするか。ア、隣の部屋の中国の留学生に愚痴ろう、それがいい!
「ショウさ〜ん!聞いて聞いて〜〜あのね〜〜……」
豊高男児
2007.7.25 紫陽花の季節終わる
連日続く暑さで、僕の大好きな紫陽花がカラカラに乾いている。炎天下の紫陽花は見ていてかわいそうだ。
早いものでもう今年の紫陽花の季節は終わってしまった。既に夏だが、やはり夏に紫陽花は似合わない。紫陽花は来年までさようなら。
紫陽花に替わって向日葵が似合う季節になってきた。僕の周りでも向日葵が太陽に向かって手を伸ばしている。その後ろに蝉の大合唱。儚い夏だ。
夏に勢いがある分、儚さを感じてしまう。それは夏の終わりの寂しさを知っているからだ。きっと今年の夏もあっという間なのだろう。
その季節ごとのたくさんの「いのち」を感じて生きたい。季節の「いのち」愛おしむように。
長州男児
2007.7.24 長距離トレーニング開始
この間から長距離トレーニングを開始している。そろそろ身体を作っていかなければならない。
といっても、ただ自転車で走るだけで特別なことをしているわけではない。佐賀市内から約45km離れた嬉野市塩田町までの田園の道を往復するのだ。自転車が好きな人の中には毎週日曜日に300km程走っている人もいるらしいから、距離から言えば決して長いというようなものではない。僕の場合はただ距離に少し慣れようというだけのものである。
なぜ嬉野市の塩田町に行くのかというと、やはり訳がある。そこに我がご先祖のお墓があるからなのだ。父は小さい頃に下関に移ったが生まれは佐賀であって、僕にとってこの佐賀という地はまったく縁がない地ではない。
走っていると佐賀は本当に平坦な地であることを実感する。坂がまるでない。そのおかげで、平野の広さを感じることができ、大きな夕焼けも見れて、遠く遠くから吹いてくる風も感じられて、僕は佐賀が大好きだ。
走り始めて少しすると農道に出て緑の匂いが強くなる。そしてクリークに集う鳥や虫たちが眼に見えて増えてくる。こんな場所を走れるのはとてもよい。有明海から塩田川を遡って山間の茶畑の中にある先祖の墓に着いたときは嬉しくなる。
これからは走れるときに走っていこうと思う。墓参りをかねた自転車のトレーニング。
「じいちゃんばあちゃん。しっかりがんばっていきます、見守っていてください。ナムナム、チ〜ン!」
ロシア行きに関しては多少問題があり少し距離を置いていたが、これから交渉を再開しようと思う。また寒さ対策や装備も本格的に集めていかねばならない。加えて、旅の中でやりたいことがあるのだが、その準備もしていこうと思っている。
夏が始まった。大好きな夏だ。25歳の夏、夢に向かって近づきたい。
長州男児
2007.7.22 オシャレな呼び方
オトウトから聞いた話である。
信州の、ある大衆食堂での話。
そこはじいさんとばあさんが細々と経営する、「キレイ」という表現は使わないのが相応しいお店であった。
オトウトは友人クンとそのお店に足を踏み入れた。メニューは頭の上に黄色い紙に黒文字で書かれてあった。
ハヤシライス 700円
チキンライス 700円
天丼 1000円
カツ丼 900円
じいさんばあさんが経営していて、少し薄汚くて、ちょっと古めかしい作りのお店というのは、我が実家がそういう古くてキレイという表現が相応しくない家だからか、我が姉弟に共通して気に入るお店の基本スタイルである。
おいしそうなメニューが並んでいてオトウトと友人クンは、喉を鳴らしながら食い入るように上を見上げた。と、一番端っこの最後に「ホワイト」というメニューが目に入った。
「ホワイト???」
なんだこの「ホワイト」というやつは??
急激に怪しまれるこのお店、そして不敵な笑みを浮かべている(ような気がする)じいさんばあさん。
ダイジョウブナノカ?ヤツラはナニかタクランデイルノデワナイカ??
グルグルグルグルと回転する、この店に向けられた懐疑の思い。
「ゴクッッ……」
唾を飲み込みながら、オトウトは恐る恐るその「ホワイト」200円を頼んでみた。
しばらくして出てきたのは、ホワイトな湯気を奏でながらホワイトな身体を露わにした、ホワイトなライスであった。
そうである。「ホワイト」とは、つまり「白ごはん」のことであったのだ。
単なる白飯を、「ホワイト」と書くじいさんばあさんのお店。
白飯と書かず、白ごはんとも書かず、「ホワイト」と書くそのメニューの裏には、異国情緒漂うオシャレな呼び方をすれば若者やアベックを呼び込めるであろうというじいさんばあさんの健気な葛藤があったのかもしれない。
そう、だから、これは単なる白飯ではなく特別な「ホワイト」なのだ。
「ホワイト」に面食らった小心者のオトウトと友人クンだったが、危ぶまれた味は「ホワイト」以外の料理も中々美味く、じいさんばあさんはメニュー表示とともに味にもコダワリを持っているということが分かり、この店にかけられた疑いは晴れてホワイト(シロ)となったのである。
長州男児
2007.7.20 言葉の違いで生まれるもの
マシな言葉を知っている。
「授かった婚」
前々から「出来ちゃった婚」という言い方が軽いような気がしていた。
毎日この言葉は必ず何かしらのメディアに登場するが、この日もある有名な方がこの言葉を使っておられた。
別に重く言う必要はなのだが、言うならば「授かった婚」の方がよい。
親なら子どもが生まれた時に、「お前を授かったから結婚できたんだ、あなたを授かったおかげで結婚したのよ、生まれてくれてありがとう」、くらい子どもに言いたい。周りの「出来ちゃった婚」と言う言葉は、それをできなくさせる負の力を持っているように思うときがある。周りが「出来ちゃった婚」というと、本人たちもそう言わざるを得ない気にさせられてしまうのだ。なんとなく出来ちゃった、そんな存在。そうだよな、出来ちゃったんだよなと当人たちにそう感じさせてしまう。そんなニュアンスを感じて仕方ない。だから僕はこの言葉が好きではない。
「出来ちゃった婚」で結婚する人、「授かった婚」に言い方を変えませんか?周りがどう言おうと、大切な子どもを授かったのだと思うよ。きっと、もっともっと子どもを大切にしたくなる。
言葉には力があります。
軽い言葉を使えばその対象は軽くなってしまうときがある。大切に扱われるべき存在には、それに相応しい言葉を使ってあげるべき。でないと生まれてくる赤ちゃんがかわいそう。
中身は同じかもしれんけど言葉によって生まれてくる気持ちには、大きな違いがあると思います。
言葉を大切に使いたいものですね。
長州男児
※この話題は前述の友人とは一切関係ありません。友人の結婚式の興奮冷めやらぬときにまたも耳にした言葉でしたので反応して書いたまでです。重々、誤解のなきようお願いします。
2007.7.16 幸せに、目から鼻水
7月15日。
高校以来の大切な友人の結婚式に参加した。大型で強い台風接近とピッタシ重なる強運の持ち主である。当日の早朝に新幹線で向かう予定だったが、その友人からの助言もあり前日に静岡に向かうことにした。
午後9時半、静岡駅近くのホテルの玄関で傘を差し雨の中待ってくれていた友人はあの頃とまったく変わっていなかった。そのおバカな性格でいつもカモフラージュされた(まあまあ)整った顔立ちにちょっとドギマギしそうになった。
結婚相手と既に同棲をして半年経つとはいえ、明日結婚式を控えた者とは思えぬあっけらかんとした態度に昔を思い出した。
僕らが出逢ったのは、今から9年前、「全国高校生交流集会」という催しの中でだった。ひとつの教室に集まった高校生たちの中で一際元気な人が話しかけてきた。それが友人だった。初めて出逢うのに「初めて」なんて関係ないとでも言うような話しかけ方だった。ただ力強かったがそれは強引ではなく、自己の主張でもなく、素直に「あなたと友だちになりたいのです」という気持ちに満ちていた気がした。
以来今日まで、この友人とはずっと手紙のやり取りが続いている。手紙のやり取りを定期的にしている仲間の中では最も古い友人の一人で、そして間違いなくこの友人からの手紙が一番多い。その手紙にはいつも独特な絵が描かれ、読んでいて苦にならないおバカで力をくれる文章があった。
あたたかな空気と楽しませる演出が続いた式は終わりに近づき、最後に両親への挨拶があった。
「お母さんはいつも美人で素敵なお母さんでした。私もそんなお母さんになりたいと思います。ありがとう」
おバカな文章ではなく美しくて力強い文章が会場を包み、友人のお母さんは目頭を押さえた。友人のお母さんが目を押さえているのを見ると、僕の目から鼻水が垂れた。
結局この日、台風は去り朝から晴れていた。台風が去った後で空気は澄んでいた。さすがに友人は強運の持ち主であった。
周りで友人や友人の友人が結婚をしていく。その幸せが周りに伝わっていきますようにといつも願っている。
これまでは「イトウ」と苗字呼び捨てで呼んでいたが、これからは苗字が変わったので名前で呼ぶことにする。エリちゃん、これからもアツイ友情をよろしく!いつでも応援しちょうけえね!!
長州男児
※会場で出逢った懐かしき友人たちと、新しくお知り合いになったみなさま、逢えて嬉しかったです。ありがとうございます。
また別の大切な友人が近いうちに結婚します。それまでどうか身体を大切にしてください。
2007.7.12 北茂安中学校講演
今日はみやき町の北茂安中学校での講演でした。
みんな恥ずかしがりながらも、挨拶をきちんとしてくれる生徒ばかりでした。
60分間反応がよく、笑うところでは笑い真剣な話をするときにはきちんと目を見て聞いてくれた。とても話をするものとしては話しやすいみんなでした。
講演終了後、二人の少年が来ました。
「サイン下さい!!」
「オレもサイン下さい!!」
サイン〜!?なんていいながらも、口に笑いを浮かべつつサインらしきものをするニシノ。
その後、若干遠目から見ていた女子中学生もそんな少年らとのやり取りを見て安心したのか、「ワタシにもサインください。」「アタシにもサインください。」とやってきて、結局20人程にサインをしていました。一人ずつと握手をしながら。もう少し話をしたかったな、みんなと。
「旅T」を着てくださっていた保護者の方にもサインをお願いされました。
「背中にサインお願いします。胸はちょっとマズイデショ!?」
ええ、ええ、胸はちょっとマズイデス。
校長室に戻ると、今度は色紙にお言葉を、ということで、またサインらしきものや絵を描いてお渡し。4枚。色鉛筆があればもっと素敵なのができるのに……今度講演に行くときは、色鉛筆でも持っていくか?
ともあれ、講演に呼んで下さる方がいて、手伝いをしてくださる方がいて、話を聴いてくださる方がいて、僕を助けてくれる人がいて、そうして話をさせてもらっています。
本当にありがとうございます。
今日はみんなに出逢えて、僕はしあわせでした。
今から郷里、下関に一時帰ります。
それではまた。
長州男児
2007.7.8 迫る音の力
本日、大学陸上部の師匠一家とともにレゲエ歌手のライブに行ってきた。
Metis(メティス)のライブである。力強くて皮膚を通り越して身体の中に入ってきた。なんだか涙が出そうになってきた。声に無駄なものがなくて。すごすぎて。
最近、音楽に触れる機会が多くなってきている。その度に音楽の持つ力に圧倒され始めている。
これまでは芸術といえば、美術、主に絵ばかりに親しんできた。
「アンタは小さい頃から絵ばっかり描いちょったよ。なんにでも描いちょったよ」
と、母に言われるまでもなく、僕は小さい頃から絵ばかり描いていた記憶がある。反対に音楽を意識して聴くことはなかったし(絵を描くことに夢中だったから)さほど興味もなかった。CDを買うこともなく、音楽を聴いてもあまり感じることがなかった。いや感じていたのかもしれないが、絵から受け取るものが強すぎて、相対的に音楽の印象が小さくなっていたのだと思う。
いま僕の心が、音楽に強い反応を示している。そして音楽が僕の心に迫ってきている。
オレも、なんか、音楽、やってみっか……?
まずは手拍子から始めてみっか!?
長州男児
2007.7.2 走行注意!
原稿(一次)を何とか書き終えたボクは、その日佐賀で最も人口密度が高いであろう、駅前中央通りを愛車のロードレーサーで走っておりました。ロードレーサーというのは、タイヤのとっても細い自転車ですね。イタリア産のその自転車は父から譲り受けた白と青のフレームで、彼は雨の中でも輝いていていました(とボクには見えました)。
う〜ん、今日もお前はいい感じやのう!
そう言って彼を撫でつつ、心の中では通行人からの大きな歓声が聞こえてくるようでありました。
信号機を渡ると前方に自動車が停車していましたのでいったん歩道に上がりました。後ろから来る自動車との事故を防ぐためです。歩道は様々なデコボコがあり障害物があります。いやです。しかも雨。滑りやすいタイル。かつて商店街を通行中、スリップしたことがあるボクは大変注意して走行していました。ゆっくりと集中して。
なななのに、なんと、あろうことか、トゥルンッ、ガッシャン、ズサッ!!多くの視線の中、こけてしまったのです。(自分だけに聞こえる)歓声は一挙に悲鳴へ。
目が不自由な方のためのデコボコがあるでしょう!?あやつにタイヤが取られ、横転、ツツジの茂みに突っ込んでいました。ええ、目立ちましたね。とても。ショックですよ、ええ、とてもね。
そして、周りの(自分だけに聞こえる)歓声も悲鳴も消えて、残ったのはザーザーという雨の音。通行人も知らぬ振りをしてくれて。
「ハハ、いやよくあることなんですよね、ウハハハ。ええ、よくあることなんですよ……あ、雨が振っているなぁ……」
なんてことをつぶやいたのかどうか、片頬に引きつった笑みを浮かべながら僕は隠れるように家路を急いだのです。
そして共同アパートの一緒に住んでいる中国の留学生たちに、そのことを話して慰めてもらうしかありませんでした。
オウサンが励ましてくれました。
「カッコヨイト思ッテ走ッテタンデショ!コケタラ恥スカシイネ!グハハ!!」
ショウサンが励ましてくれました。
「血ガ出テマイス。治療ヲ、シナケレバナリマセン。」
自分が怪我をしたことより、ロードレーサー君を傷つけたことが申し訳ないニシノでした。
オウサン、ショウサン。慰めてくれて謝謝!
雨の日は気をつけないといけません。
みなさま、雨の日の走行はどうかご注意下さい。
長州男児
2007.6.26 リンゴ片手に女子高生
今日、佐賀の由緒あるけど狭い裏通りを自転車で走っていたら、前方に青春真っ盛りの女子高生の4人組がいた。
後ろから近づいていったのだが、学校の先生や部活の話題で盛り上がり、僕ごときのオトコはその気配さえも感じてもらえない。道幅いっぱい存在感を撒き散らしながら走っていて抜けないので、しばらく後ろから様子を伺っていた。
4人のうち、ウメとヨシヱは何かを食べながら自転車に乗っていた。
吉田ウメ(仮名、たぶん17歳)が言う。
「ウマイ!」
山本ヨシヱ(仮名、たぶん17歳)が同調した。
「マジ、ウメー!」
本当においしそうに何かを食べながらペチャクチャと話している。
そのうちようやく4人のうちの控えめな娘が気づいてくれ、彼女らの集団は縦長になった。
僕が頭を下げながら一番後ろにいたヨシヱを追い抜いたとき、ヨシヱの手には食べかけのリンゴが握られていた。同じくその前を走っているウメも、紅い食べかけのリンゴを手にしていた。
なんと彼女らは、リンゴを丸かじりしながら下校していたのであった。
一瞬、負けた気がした。
高校時代、さすがにそこまではできなかった。男子校であったにもかかわらず、僕には学校外でリンゴを丸かじりする勇気がなかったのである。
だが突発的に抱いた悔しさは瞬時に消え失せ、その後はなぜか畏敬の念を感じるのだった。
追い抜いた僕の背後から、ウメの声が響いた。
「やっぱ、ウマイ!」
僕は用事を終えて家に帰る途中、近くのスーパーでリンゴを一玉だけ買った。
佐賀は今日も平和です。
長州男児
2007.6.23 耳が凍死しちゃう!
佐賀の小さな神社で僕は若い高校生たちと出逢うことになっていた。
カワイイ女の子二人とイケメン少年一人は、僕の「旅Tシャツ」を注文してくれていて、それを今日手渡すことになっていたのである。
自分の高校や知り合いを当たり少年少女は実に16枚の注文を集めてくれた。(自分より年齢が下の)後輩から応援してもらえることは最高に嬉しい。本当に嬉しいよ僕は!ありがとう!ありがとね!がんばるね!!
旅Tシャツを手渡すと、エリ子ちゃんが遠慮がちに質問をした。
エリ子ちゃん: 「がばい寒かとこいくんでショ?」
ニシノ : 「ハイ。ロシアにせよ北米にせよ、寒いところのようでありマス」
エリ子ちゃん: 「耳が凍死するとでショウ!?」
耳が凍死……
エリ子ちゃん: 「ニシノさん、耳、凍死せんように気よつけてくださいネ!」
ニシノ : 「う、うん。耳、凍死せんように気よつけるね。ありがとう!」
エリ子ちゃんは、「耳の凍死」にこだわった。
フツウの大人なら「凍傷」という言葉を使うのかもしれないが、「耳の凍死」という言葉は、より鮮やかに、より印象深く僕の耳に残った。
そうなんだよな。
凍傷って、細胞クンたちが凍死するんだよな。
実感湧かないけど、オソロシイんだよな。
応援してくれる方がいる限り凍死してはならないことは当然だが、それは耳や指先の凍死であっても、やはりあってはならないことだろう。
原稿を書き終わったら、情報と装備を集め動き出す。準備不足で凍死するなんてことは絶対にあってはならない。
ひゃあー、寒いとこは凍死しちゃう!耳だって凍死しちゃうんだ!気よつけないと!
いや冗談ではなく、ほんとに気をつけなければいけない。
高校生たちはこれからミュージカルの練習だといって元気に走っていった。その後姿にはうらやましいくらいの輝きがあった。オッ、オレも負けちょれん。25歳ニシノ、今からでも遅くないけえ削れ、燃えろ、輝けもっと!
僕は神社の橋の袂で、一人プルプル震えた。
エリ子ちゃん、ヨウ子ちゃん、イケオくん(みんな仮名)。本当にありがとう。みんなのお守り、みんなの想い、大切に旅に持っていく。ありがとう。
今から僕はパソコンに向かって原稿を書く。舞台が南米なだけに、やってラテン……
ひゃあー、耳が凍死しちゃう!気よつけて!!
長州男児
2007.6.20 アシックスの運動靴
僕は高校、大学ともに陸上部だった。
昨日も走ろうと思ってランニングシューズを取り出そうとしたら、急にあることがありありと思い出された。なぜそのことが甦ったのか分からない。今までまったく忘れていたことが鮮明に思い出され、不思議な気持ちになった。
14年前、あれは小学校6年生のときのことである。
僕らの街では陸上記録会という催しがあった。
各学校から選ばれた選手が競技ごとに対抗するわけだが、一学年20人の僕たちの小学校は、選出されるどころか人数が足りないくらいで、みな何かしら選手にならなければならなかった。
僕は1000m走に出ることになった。クラスの他の友だちは、陸上記録会に出るため真新しい運動靴を買ってもらっていた。その頃僕の履いていた靴は、マジックテープで留めるタイプの靴だったのだが、友だちが買ってもらっていたアシックスやミズノやプーマといった靴は紐で縛るタイプの運動靴で、とてもかっこよく見えた。その運動靴を履いているだけで、なんだか早く走れそうな感じがした。ほしくてたまらなかった。そこで僕は母に嘘を吐いた。
「ねぇお母さん。オレ1000m走に出らんといけんのやけど、あの靴じゃ走れんけえアシックスの靴買って。先生も靴を換えた方が早く走れるって言っちょったよ」
先生が靴を換えた方がいいと、まるでアドヴァイスをくれたかのように母に話した。オモチャだったら買ってもらえないのは知っていたが、学校の行事で必要なものなら買ってくれるはず。ほしくてほしくて僕は嘘を言った。結局母は、白と黒の色をした、紐で縛るアシックスの運動靴を買ってくれた。嬉しさと何か小さな痛みのようなものを感じたことを覚えている。アシックスの運動靴を履いて走った結果は、後ろから数えた方が早かった。
昨夜、裏が磨り減り穴が開いているアシックスのランニングシューズを靴箱から取り出しながら、なぜだか急にそんなことを思い出した。このシューズももう長いこと履いている。僕がランニングシューズをアシックス以外使わないのは、もしかしたらその辺に起源があるのかもしれない。
靴よ。いつも僕を包んでくれてありがとう。
長州男児
2007.6.18 パンダの声
100年後の子孫は、僕ら(この世代の人間)の行動をどう評価するのだろう。
みなさんは、パンダのマークの「WWF」なる団体をご存知ですか。
ワールド・ワイド・ファウンド、「世界自然保護基金」といって、世界で540万人の会員がいる世界で一番大きな自然保護団体です。
そのWWFが、この度また、ある声明文を出しました(よく出していますが)。
日々紙面を賑わす沖縄の米軍基地。防衛、基本的人権、対米関係など様々な観点からこの問題を考えることできますが、パンダくんは常に自然保護の立場で物事を観ています。
沖縄島北部にある、約7500ヘクタールの米軍海兵隊の北部訓練場の一帯は、亜熱帯の常緑広葉樹林が良好な状態で残されているらしいのですが、この森には、固有種、つまり地球上でその土地にしかいない動植物がたくさんあって、ノグチゲラ、ヤンバルクイナなど貴重な生物が生息しています。
しかし現在、この訓練場に新たに6ヶ所の、直径75mのヘリパッド(軍用ヘリコプターの李発着場)が建設されようとしています。ここには4000種を超える野生生物がいて、固有種が植物で12種、動物で11種、環境省のレッドリストに登録されている生物が177種、沖縄県版レッドリストでは188種が確認されているそうです。
パンダのマークのWWFは、その計画について、自然保護の観点から、地域住民の人権を守る立場から、建設中止の声明文を出していますが、僕も自然や未来の子孫たちのことを考えれば、このヘリパッド建設がどれほどの意味があるのか疑問に思います。もちろん、ヘリパッドが必要だという前提で話をすれば、いくらでもその理由を作り出すことはできるでしょう。けれども、それが「本当に」必要なものなのか。つくらなくてもよいような、避けて通れる道は「本当に」ないのか。そこを考える必要があるのではないかと思います。
きっと誰もが、子どもたちにすばらしい世界を残したいと思っているはず。もちろん、いろいろな「子どもたちのため」があるのでしょう。でも僕は、貴重な自然を残すことは子どもたちにとって、何よりも大きな宝のひとつになると考えます。
パンダよ。僕には何もできんが、小さな声を集めて、立ち向かってくれい。
100年後の子孫たちに、ジイちゃんバアちゃんたちが動いてくれてよかったジョ!といわれるには、どういう動きをしていったらよいのだろう。
子どもたちにとってどういう世界を残すべきか。
いろいろな世界をよくしていこうという動きは、全てそこから始まっている気がする。
そのために、豊かな自然はとても大切。
軍事施設ありきではなく、自然をどうしたら残せるか。
美しい国、日本でショ!?
美しい国を、汚さないで。
パンダは今日も小さな声を集めています。
その声はいつか大きくなる日が来るでしょうか。
長州男児
2007.6.16 「夏毛」
「夏毛」
そう、それは夏に生え変わる毛のこと。また西野に限って言えば、夏にヘアスタイルが変わることを意味する。
暑くなってきたこのごろ、よく注意してみると(しなくても)西野のヘアスタイルが変わっていることに気づくでしょう。小学生から高校生時代までは、年中ボウズと伸びかけボウズで過してきた。そんな硬派な西野でしたが一昨年、疑心暗鬼心機一転、長髪に挑戦したのであった。
大学4年の秋、ワタシはオノレの天然パーマを伸ばし始めたのである。オノレの天然パーマを伸ばしてみたら世界はどう変わるのであろうか?世界の経済にどのような影響を与え得るのだろうか?ふとそのような哲学的な疑問がワタシを捉えて離さなかったのである。
それまで我が髪は3.5センチをひとつの「K点」として、常に6ミリのボウズに戻されるということを繰り返されていた。大学に入り「K点」が5センチ程度になったものの長く伸びてもよいという許可が出たことはなかった。ところがそこに自由に伸びてもよいという許可が出されたのであるから、長くなることを拒まれてきた我が髪が喜んだのはいうまでもない。以来、縦横無尽にニョキニョキと伸び始めたのだった。
「全国紆余曲折天然パーマ大会」なるものがあれば(審査の点は、過去如何に天パで悩み、現在それを乗り越え清く正しく美しく天パを肯定できているかというストーリー性が求められるべきだろう)、まちがいなく入賞はするであろうし、もしかしたら日本代表になって「ミスター天パユニバース」、世界の「ミスター天パ」として世の救われない天パで悩む少年に、歩道橋の下あたりで、天パの素晴らしさを説く日々が始まるやも知れない、などと髪のうねりとともにワタシの妄想は激しくなるばかりであった。
実はワタシは思春期の頃、天然パーマで悩んだ口である。
人がオールバックにしてタオルで巻いて1時間待ち、その後元に戻すとストレートになるなんてことを教えられればその通りにし、いやいや鉢巻きをずっと巻いておくに限るといわれればその通りにし、いわば俗に言う「天然パーマ恥じらい症」であった。そしてそんなワタシはこともあろうか、髪がストレートのオトウトに若干の嫉妬を覚えたりしていたのだった。そんなときはこっそりと、オトウトに若干つらく当たったりしていたのだが、しかし小学生だったオトウトは、つらく当たられてもワタシを疑うことを知らず「兄ちゃん兄ちゃん」などと、まだまだ純真なマナコでワタシを見つめるのであった。ゆ、ゆるせオトウトよ。ニイちゃんはな、ニイちゃんはな、天パなんだ。天パなんだよ。必死で自己を肯定し、幼きワタシは更に天パを悪者にしていたのである(姉も天パだったから姉に対しては「かわいそうに」という哀れみの目を向けるのみであった)。
ところが、その天パに、転機が訪れたのである。天パを伸ばし始めて23歳の冬、なぜかワタシは天パをいたるところで褒められるようになった。しかも女性にである。
女性A:「すっごいパーマですね。似合ってますよ!」
ニシノ:エ!? (どうしよう。ボクのことスキなのかな!?)
女性B:「うわあ。いいパーマですね。どこでかけたんですか?」
ニシノ:いや、ここれは天パで… (どどうしよう。スキなのかな!?)
女性C:「ウワぁ、素敵ですね。触っていいですか?」
ニシノ:アノ、アノ、ボクもスキです! (注:多少の誇張あり)
まあその後何があったかというと、まったく何もなかったのであるが、とりあえず褒められるようになった。まあよくよく考えてみると、「僕が」、ではなく、「髪が」、なのだが、当時のワタシは髪であろうが僕であろうが、どちらも同じようなものだと勘違いしていたのだ。
さてそんな天パ伸ばし放題だった髪を、ガバっと上に上げおでこを出すことにした。そう、ワタシの髪は冬毛から夏毛に変わったのである。ボウズにしてもいいのだがいささか飽きた。しかも今年の11月にはいずれにせよ寒いところに行く予定だからあまり短くはできない。できるだけ太陽の光をおでこに集めて、今日も梅雨の中を夏毛に変わった西野が、天パを湿気にやられながらも佐賀の街を自転車で走っているのだという……
長州男児
2007.6.13 人道的?非人道的?
人道的?非人道的?
これってなんじゃろうのう……
数ヶ月前になりますが、ある爆弾の禁止を求める条約がノルウェーのオスロにて開かれていました。不発弾率が20パーセントという、素人からしてもその確立が高いであろうと容易に推測できるその爆弾は、親爆弾から子爆弾が空中でばら撒かれ、更にその子爆弾が爆発すると大量の金属片が周囲に飛び散りたくさんの人を殺傷するというものです。しかし、かなりの子爆弾が不発弾として残り、戦争が終わった後でもたくさんの被害を生んでいる地雷と同じように、人々が傷ついている(世界でこの爆弾が10あるとしたら、5つは米国が持っていて、たくさんの場所で「正義」と「民主主義」と「世界の平和」のために使用されています)。
ノルウェーで開かれた会議は、その爆弾が「非人道的」であるということで、とりあえず関係のある国が集まって、つくらないように、使わないようにしましょうという会議でした。49か国中46カ国が条約に賛成、3カ国が署名しませんでした(生産量トップの米国は不参加)。
さて、その署名をしなかった3カ国のうちの日本が、先日賛成表明をしたそうです。一庶民には想像もつかぬ様々な考えごとがなされたのは当然でしょうが、それを一考したとしても、政府よ!賛成するんなら初めからせい!と思うのでした。
武士はどこに行ったんじゃろうのう?世界を救う武士はおらんのか?
前置きが長くなってしまいましたが、その「非人道的」だから使わないようにしよう、という議論、なんだなんだなんなのだ?という「?」マークが眠い眼の前をチラチラ行ったり来たり。行き当たりバッタリ。
非人道的な兵器やから使わんでおこうやっていう議論は大切です、大切ですがその前に、兵器に人道的も非人道的もあるんかいのうということなのです。人道的な兵器ってあるんかいのう?
僕が言いたかったのはここまで。
みなさんはもうお分かりでしょうが、この爆弾はクラスター爆弾というもの。
日本も150億円払って数千個保持しているといわれています。
兵器に人道的も味噌もヘッタクレもあるんかいな???
そんなもんない!
…と、眠い頭を非人道的(人道的?)にオノレの手でブチながら、ニシノは断定的に思うナリ。
思うナリ……、とその後の具体的な解決案に言及するかと思いきや、この話題はココで唐突に言いっ放しで終焉を迎えるのでした。
(注:今回の文章は、決してノルウェーで行われた会議を揶揄するもではありません。ご理解下さい)
長州男児
2007.6.11 友、それぞれの道
友よ。
友それぞれの道。
我が友は、素敵である。
3センチのスネ毛、長いパイ毛抜くのが趣味の友(他人に抜いてもらうとシアワセらしい。アホである)。
ガンディーを敬愛し「ガンディーチョップ」が趣味の友(非暴力の意味を知ってるか?アホである)。
未だにカンチョーなるものが趣味の友(低レベルでうれしくなる。彼がいると自分をいくらか肯定できる)。
飲んだ後は歩道橋の下で熟睡するのが趣味の友(風邪引くのも趣味だった。当然である)。
そんな彼らを含めても、我が友は素敵だ。
そこは自慢できる。
気づけばもう何年も逢っていなかったり、結婚していたり、子どもがいたり。
社会に属している喜びに満ちていたり、苦しみを味わっていたり。
友よ。
みんな、それぞれの道歩いとるのう。
北海道に帰ってスーツ着るようになった友。
大阪で親孝行している友。
福岡でバリバリラーメン食ってる友。
京都の食品会社に勤めている友。
東京で揉まれながら新しく働きはじめた友。
いま何しとるか分らん友。
佐賀、いつも地元でがんばる友。
熊本で福祉の仕事をしている友。
下関で勉強をしている友。営業している友。
いまどこにいるか分からん友。
沖縄に住み着いた友。
広島で仕事と自由を謳歌している友
市役所、工場、スポーツ、ボランティア。
学校、自営、見習い、派遣。
長崎、大分、神奈川、奈良。
兵庫、鹿児島、愛知、山口。
日本のたくさんの土地に散らばった友。
海の上が仕事場の友。
山や草原が仕事場の友。
アメリカに行く友。
タイに行ってる友。
中国が仕事場の友。
これからニジェールに向かう友。
世界のたくさんの土地に散らばった友。
たくさんの生き方があって、みんなそれぞれの道を歩き出している。
ありがとう。
友でいてもらえるような資格をつくっていくよ。
それぞれの道を歩きながら、たまに出逢って飲む酒は美味しかろうのう。
それぞれの人生が、輝いていってほしい。
できれば、僕らを取り巻くこの世界も。
今度、僕の大切な友が結婚します。
おめでとう。
心から。
長州男児
2007.6.10 シャリを拾ってノリで巻く
ある「身近」な女性から、当HP(ホームページ)の文章に関してご指摘をいただきました。
「アンタさぁ、文章堅いんじゃない。なんかねぇ…ココちょっとかっこよすぎやろ。ココちょっと重い。とりあえず全体的にさぁ、イヤらしいんよねぇ。うん、イヤらしい……」と。
……要するにニシノは、「かっこつけすぎ、堅い重いイヤらしい」、と結論付けられたのでした。
オイ、何言ッテルアル、アナタ!モット現実ノ私見ルアル!
と抗議をする前に、「当たっておる!さすがである!」と大変ワタシは頷いた。
ご存知ない方にご説明しましょう。
ワタクシ「ニシノ」は大変に軽いオトコであります。黙っていてすみません。
え!
アナタのこと、信じてたのよ!?
これまでのこと遊びだったの??
どうしてくれんのよ!!
えー、そんなことをいわれても困ります……
当HPは、我が両親のご友人の方々もご覧になるのというので、両親に恥ずかしい思いをさせては断じてならぬ!という似非孝行息子的考察がそこにはスズメの吐息程度あったのです。
またご年配の方もご覧になっておられるというので、あまり情緒の足らない言葉等を使うと不快な思ひを致しはせぬだらうか、などと思いを馳せていたのでした。
だから多少堅く重くイヤらしくなったのも無理はありません。
だって若い人向けではなかったのですから。
しかしこのままですと、ホンモノの(一部である)軽い僕を知らないまま、堅くて重くてイヤらしいニシノ像の妄想を膨らませる方が続出する恐れがあるため(ないか!)、若干のイメージ変更を試みます。
今後この日々記は、軽いノリで書いていくことにします。
「正義」や「誠実」などという風が吹こうものなら、どこかに飛んでいってしまうような軽薄なネタを、どこかでシャリを拾いノリで巻き僕なりの味をつけながら、くだらんノリで書いていきます。
中身のないこと書くだらう。
取り留めないこと書くだらう。
イヤもともと中身がないのだらう。
駄文で進めていいだらう。
ただし、調子に乗らないよう気をつけたいとは思っています。
それでもお付き合いいただける方は、よろしくお見守りください。
まぁ軽いオトコであるということが分かっていただければ、僕も何の気負いもなく進める気がします。
それではみなさま、またお逢いしましょう。
いつも応援をありがとうございます。
おい、アネキ。これでええか?
長州男児
2007.6.5 笑顔の子どもたち
いま手元に、長倉洋海さんの写真集『きみが微笑む時』がある。
以前、我が弟から贈ってもらったもの。
世界中で長倉氏が撮った笑顔の写真なのですが、子どもたちの笑顔が実にいいのです。
いい!
アフガニスタン、戦士の食事を作る少年が前歯を出してはにかんだように笑う。
エル・サルバドル、難民キャンプで太陽の光をいっぱいに浴びている少女に浮かぶ笑顔。
ボリビア、草っぱらで踊る子らからこぼれる笑った顔や、エリトリア、お父さんと一緒の少年クンがたたえている微笑み。
そのほか、鼻水を出しながら、虫歯を見せながら、窓の隙間から、学校で、仕事をしつつ、オシャレをして、またはボロボロの服で、眩しそうに、恥ずかしそうに、こぼれるように、笑顔が花咲いている。
ここに写っているこどもの笑顔にはウソがないなぁといつも思います。
そのほっぺにも、その眉毛にも、その手や足や小さなオシリにだって、ウソがない。さらさら流れる自然体。だれ一人として笑おうとして笑っている風ではなく、笑いが込み上げてきて仕方ないナリ!踊りたくて笑いたくてもうダメやけぇ!いまこの瞬間ぶち楽しいの!!という顔をしているのです。
それが僕まで伝わってくる。だから楽しいし嬉しい。
アラジンの空飛ぶ絨毯のように、話はすっ飛んで僕の部屋へ。
実は僕の部屋にもタイの女の子の可愛い笑顔の写真がある。いや誤解なさるな、そんな趣味ではない。僕の大学時代の先輩から譲り受けたものなのですが、この子の目がまた格別にきれいでその瞳に風景がすべて入っているのです。月並みな表現を使えば、その子の瞳は「キラキラキラキラ☆」、僕なりの表現を使えば「無垢な地球」。僕はいつもこの子の目を見ながら、アア自分はもう戻れないなぁこの子のようには、なんて郷愁を感じたりしています。
この子たちの輝きを忘れずにいたい。
ありがとう、たくさんの子どもたち。きみたちのヒトミはキレイだね。
最近、自分に余裕がないなぁ…なんて時や、あぁ心が乾いてるゾ…なんて時に、ぜひ子どもたちの笑顔を見てください。確かな波動が伝わってきます。笑顔はすばらしい。そしてできれば、自分からも生み出していきたいもの。もうひとつ、僕が子どもたちの笑顔を見たいから、子どもたちが笑顔でいられる世界が拡がっていけばいいなと思います。
弟よ。中々いいものを贈ったじゃないか。兄は喜んでいるゾ。そして我がケガレを嘆いているゾ。
僕のヒトミは、ただいま怠慢とケガレと徹夜により淀み中です。
カタカタカタカタ(パソコンの音)…………
長州男児
追記 : たった今、部屋の隅で身に覚えのないチョコを三つ見つけました。やった!チョコだ!最近食べられなったチョコだ!
これよりチョコパーティーに入ります。みなさま、おやすみなさい。
2007.5.28 四半世紀後の自分
そんな遠い日の自分が、何をしているか分かる人っているんだろうか?
みなさんは、自分が25年後、何をしていると思いますか?
今、いろいろと考えています。25年後、自分はどうしているだろうか。いや、何をしていたいんだろうか。そんな遠い未来のこと、想像することすら難しい。やけど、いろいろ考えています。最近分かってきた事実なのですが、どうも僕は無駄なことが好きなようです。
年を重ねれば重ねるほど成長が約束されているなら、どんなにか楽だろうとよく考えます。積み上げてきたものが崩れないというのも楽。ですが、歳を重ねても成長が約束されていないからこそ、積み上げたものも崩れるからこそ、日々を大切に生きていかねばならないのでしょう。これから僕が一体何を見て感じて考えるのかは分からない。けれども、25年後の自分を好きでいたいと思います。
そうならば、いまがんばろう!!
未来の自分が褒めてくれたら、それが一番嬉しい。だからいま、自分のするべきことやっていきます。
まずは、たくさんの方に迷惑をかけている『人旅南米』。これを、来月末までに書き上げます!
書き上げるなり!!
宣言しちった。
言っちまった。
こりゃあ逃げられんのう!!
よし!思いは25年後ではなく、眼の前の机に戻りました。
ようやく戻ってきた。
今夜は待宵月。月を見上げて慣れないパソコンに向かいます。
こんな日があったことを、25年後の僕は覚えているでしょうか。
みなさんの今を、25年後の自分はどんな思いで見つめているのでしょう。
四半世紀後も、ずっとよろしく。今の自分、がんばれ。たぶん、未来の自分もずっとスキ!
よっしゃ!!
カタカタカタカタ…………
長州男児
2007.5.20 僕は西野、好きな花は紫陽花
みなさん、こんにちは。西野旅峰です。
「旅Tシャツ」をお買い上げいただいたみなさまには、心からお礼申し上げます。
ありがとうございます。
自分の程度を超えないように、けれども限界まで持てる力を出していきたいと思っています。
さて、ここのところ随分と陽気が続いてまいりました。誠、結構なことだと思います。
しかしこれからは梅雨に入っていくではありませんか。自転車と我が足しか移動手段を考え付かない僕にとっては、これはなにかと不都合なことも多いものです。
しかしそんな中、僕が楽しみにしていることがあるのです。
そう、僕が楽しみにしているのは、これからが紫陽花の季節だということ。
僕の元気な天然パーマを反映してか、多くの方が、好きな花は、向日葵でしょ!とか、活きのいいチューリップ!なんておっしゃるのです。僕は向日葵もチューリップも大好きですが、けれども一番好きなのはしっとりと雨に濡れた落ち着いた紫陽花なのです。
まだ紫陽花の季節には、少し早いかな?梅雨は好きじゃないけど、紫陽花は好き!
そんなことを思いながら今日も僕は五月晴れの太陽の下、愛車とともに佐賀の街を走り回っています。
ちなみに、移動する必要がないときの雨は大好きです。
豪雨は大変落ち着きます。
紫陽花よ。そのうちとってもよい顔、魅しとくれ。
それでは、みなさん。雨なんか吹き飛ばすくらいの勢いで、青春の舞台を突っ走りましょう!
くれぐれもお身体にはご留意ください。
これからも、よろしくお願いいたします。
長州男児 西野旅峰 拝
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