Date; Sat, 28 Jun 2008 04:02:16 +0900 (JST)


6月27日


長らくご無沙汰しております。
自転車乗りのニシノリョオです。

 ただいまユタ州のモアブという小さなオアシスの町にいます。
 

 砂漠地帯を抜けそしてここからもまた砂漠地帯が続きます、メキシコ国境ら辺まで。

 砂漠地帯は日中摂氏42度以上、(ちょーマジ、ぶちアチィけええ!!ミ、水がほしいけえええ!!!)と思わず口走ってしまうほどアチィです。



 でも『M』な僕はそんな砂漠が実はスキです。


ぶちスキです!

 6月16日から23日まで、ソルトレイクシティにて身近な女性と逢うことができました。


 サイドバッグやその他の装備を、遊び心、独特な個性とともに日本から持参してくれて、レンタカーで2000kmほどの旅をしました。



  今回はホント、姉貴に感謝です。
ありがとう。


 荷物が重すぎて大変だったのでかなりの荷物減量に取り組んだ結果、現在は35~40kg(自転車は含まず)の重量となっています。


 これで、何とか今後の砂漠地帯も走っていけると思います。


 今後の連絡は町が少ないためになかなかできませんが、元気で生きておりますのでご安心ください。


 たくさんの方々に支えられて旅を続けております。

それでは、また逢う日まで。
みなさん、元気でおってください!!!


にしのりょお



Date;Sat, 7 Jun 2008 07:14:30 +0900 (JST)

6月6日

こんにちは。
自転車乗りです。

5月27日に米国(アメリカ合衆国)へ再入国しました。

心配していた滞在期間ですが6ヶ月もらうことができ、焦って進むことをしなくてもよいことになり少しホッとしています。

 ただいま、イエローストン国立公園のちょっと北に位置する、モンタナ州におります。


 
こちらは毎日雨ばかりです。

おまけに風も強く、曇りの日は気温がひと桁前半まで下がるうこともあって、なかなかよい修行ができていると思います。

 今日は午前3時から雷を伴う激しい風と雨によって、テントは浸水し、すべてが濡れながらもその中で眠ることを余儀なくされました。
 しかし精神が立派に図太くなっている僕は、ぐっすりと快眠でした。



 というのはハッタリでして、精神が細やかにできている僕は雷に怯えながら、テントの水を掻き出しながら、これまで出逢ってきた人や日本で応援してくれている人を思い出しながら必死で祈っておりました。

 と、まあ、こんな調子で、決して快適な旅とは言い難いモンタナの毎日ですが、それでも多くの人と接しながら感謝しながらの僕の旅となっています。

 今後は、精神的に、また血縁的に身近な女性がスルトレイクシティにやって来るとの情報を得、そちらの方面へ向かうことにしています。




Date: Mon, 26 May 2008 05:25:18 +0900 (JST)

5月24日


僕が出逢ってきたカナダの一部。
そこは自然豊かで人はやさしく税金は高いけれど有効的な使い方をされており、弱肉強食よりも助け合いを人間の理想とするならば、日本よりも幾ばくか理想に近い国という感想を持ちました。
言い方を替えるなら、理想に向けて近づいていこうとする姿勢が街のあちらこちらに垣間見える国でした。


当初の予定では1ヶ月半でカナダを抜ける予定だったのが、すでに3ヶ月以上滞在しています。
 この間膝を痛め休養に徹していましたが、そのおかげで多くのカナダの人と接する機会を得ました。

 膝が良好であれば絶対に滞在しなかったであろうサルべーションアーミーや公的機関のシェルター。
 
 一般のホテルやモーテルには泊まるお金もない人々。
 仕事を求めて街を転々とする人々。
 両親の虐待や家庭の問題で避難をしている人々。
 酒やドラッグに溺れ家を持たず何をするわけでもなく日々を送る人々。



 そんな人々の中でとりわけ印象に残ったことがありました。

 アルバータ州のグランドプレーリー(Grande Prairie)という街。僕はそこで毎日図書館に通っていたのですが、そこでジャンというネイティブ(インディアン)と仲良くなりました。
 一目でアルコール中毒だと分かる顔をしており、近寄ると何ヶ月もお風呂に入っていないような人間の臭いが強くしました。
 いつもやさしい顔で笑いかけてくれて、何を言っているのか分からないけれど、きっと彼も僕が何を言っているのか分かっていなかっただろうけれどたくさん話をしたのです。
 そんなジャンがある日食堂(公的機関のフレンドシップセンターの食堂。ここは主にネイティブのための施設で職を斡旋したり飲食物を無料で提供している)で激しく荒れたことがありました。
 原因は分かりませんが、いつもとてもいい笑顔でやさしかったジャンが変わった。

 「Fuck!!」を繰り返し、もともと赤い顔を更に紅潮させて何度も大声で叫びました。
 数人の友人が彼をなだめ、残りはじっと静観していました。

それから何日かして僕は彼に夢を訊ねました。
「ねえ、ジャン。夢ってある?」


 するとジャンは少し考えてからこう答えました。
「夢はないけど、じいちゃんと父ちゃんに逢いたい。今すぐに」と。
笑顔の裏に、ジャンは何を持っているのだろうと思いました。



 また同じ街で、僕はホースマンというネイティブとも仲良くなっていました。彼は体格もよくユーモアがありスケベで、そこのネイティブの中では中心的な存在でした。
 そんな彼に、「ネイティブとインディアンとどちらを呼んだ方がいいのか?」と訊ねたことがありました。

 するとホースマンは声の調子を落として即座に言いました。
「インディアンはとてもわるいスラングだ」と。


「エスキモーという言葉も同じ」

 カナダやアラスカではインディアンやエスキモーという言葉を日常的に使っていますが、日本ではネイティブやイヌイットと呼ぶように教えられていたので、少し迷ったための質問でした。


 この街での楽しい日々は過ぎ去り、ついに明日2ヶ月ぶりに自転車に乗って移動を再開するという前夜。
 ホースマンは僕を外に呼び出し、過去を少しだけ話しました。
老人や女性にやさしく正義感の強いホースマンは、少し弱々しい顔で「コカインをやっていたんだ」と言いました。


 静かに「なぜ?」と訊くと、
「悲しい。とても悲しいんだ」とだけ答えました。

 その後僕らは少し黙って夜風に当たりました。
まだ冬の匂いがしていました。




 カナダはとても好きな国です。
いい国です。
 けれど、アル中のネイティブが荒れたとき、他のネイティブたちが彼をなだめるとき、その状況をじっと見つめるとき、「父ちゃんに逢いたい」と言ったとき、「インディアンはわるい」スラングだと言ったとき、一人の体格のよい男が寂しそうに風に吹かれているとき、僕は彼らの目にカナダの悲しみを見た思いがしました。


 福祉が進んでいるということは、「そうならざるを得なかった状況が過去にあったから」ともいうことができ、それはかつてのネイティブ迫害と深く関わっているのでしょう。
 僕はその迫害の表層しか知らず、ネイティブたちに対して何も言うことができませんでした。


 誤解を与えてはいけないので繰り返しますが、カナダはとてもいい国です。
ユーコンからブリティッシュコロンビア、そしてアルバータまで。

 たくさんの方が僕を支え助け守ってくれました。
ここまで運ばれていることを、ただうれしく感謝するのみです。
ありがとうございます。


 「人は幸せになるために生まれ、人を幸せにするために生きている」から始まる「旅峰的幸福論(仮)」。
 様々な生き方があり、何が幸せなのか。
人によって幸せは違うのか。
幸せは得るものか、つかむものか、与えられるものか。
幸せとはなんぞ。
 旅の中で「幸」について考えています。


 さて、長らくお世話になったカナダをそろそろ出まして再び米国に入っていきます。
 モンタナからワイオミング、コロラド州へと続きます。
次は米国からの更新になります。
みなさま、それまでお元気で!!

カナダ、ありがとう。


長州男児 西野旅峰 拝








Date: Sat, 24 May 2008 06:54:55 +0900 (JST)

5月20日

 みなさん、お元気ですか。
5月15日に無事、カルガリーへと到着しました。
 こちらは太陽が異常に強く、直射日光の下での体感気温であれば40度を超えているのではないかと思われるほどです。
激しい日焼けをしています。

 さて心配していた膝ですが、なんとか走れるまでに回復しました。
まだ一抹の不安は残っていますが、これなら調子を少しずつ上げていけそうです。
いやあよかった。
ホントによかった!!

 
 ここではカルガリー在住の日本の方々(*写真)と一緒に楽しく過ごさせてもらっています。

 本当に嬉しくありがたく思っています。
日本を出て以来の寿司や刺身を味わいました。
頬が緩みっぱなしです。
鼻の下も伸びっぱなし。


 冬装備を日本へ送り返しますので重量は10kg以上軽くなるはずで、今後はますます暑く熱く走っていけそうな気がします。



 4,5日後は再び米国を目指し南へ向けて走っていきます。
国境までは3、4日の距離です。

7月10日にはメキシコに入る予定です。


 膝が回復したことがとても嬉しく、本当に感謝するばかり。
膝、ありがとう。
身体、これからもよろしく。

 みなさん、ご心配かけてごめんなさい。
そして、いつも応援ありがとうございます!!
またご連絡いたします。

お身体に気をつけてお過ごし下さい。


西野旅峰 




パンフ国立公園 (1)

















パンフ国立公園 (2)













  カメラを構える本人






 カルガリー在住のタケさん

                         ビッグホーン



2008年05月02日10:52 [ 本人 SNS 日記より転載 ]

5月2日

 一昨日、旅に出てから初めて雨が降りました。
これまで雪だったのが雨に代わった。
冬が終わったのだと思いました。

 西野旅峰HPは、これまで協力してくれていた友人が諸事情により更新ができなくなりましたので、別の友人が代わって更新をしてくれることになりました。
お二人には本当に感謝しています。
ありがとうございます。

 そういうことになりましたので、今後はこの場ではなくHPで『旅先から』を更新していきます。ただ手続き上、更新にはしばらく時間がかかるかもしれませんが、お暇な時に覗いてみてください。

運がよければ新しい文章が載っていると思います。
みなさんから頂いた励ましの言葉はとても嬉しかったです。
ありがとうございました。
月曜日に走り出します。
身体の声に耳を澄ませながら、安全に注意しながら僕の旅を続けます。


それではまたお便りいたします。
健やかな皐月を楽しまれますよう。
僕をここまで運んでくださっているみなさんに、心からお礼申し上げます。



西野旅峰 拝






2008年04月29日09:27

4月29日


「心はどこにあるん?」



小さな子がそう訊いてきたら、なんと答えるだろう。

「胸の中よ」と答えるか、
「頭にあるんだ」と教えるか、
それとも「笑顔が心なほよ」と言うだろうか。





「心は足の裏に」



心は足の裏にある

自分の目には見えないが

いつも自分を支えてて

小さな花をよけて歩く

その足の裏に

心はある






心は足の裏にある。
それは僕の言葉ではない。
きっと誰かの言葉だった。
どこからやってきたのか、それも知らない。
いつのころからか僕の記憶にその言葉だけがずっと残った。




最近、心とは身体から溢れ出すこともあると知っている。


 この詩を英語で説明することもめんどくさく、ワタクシは今日も男臭い15人部屋で、己の胡散臭さと周囲の鼾や屁や足の臭いに耐えながら生きている。

足の裏の心は、さぞかし息苦しいことだろう。



1週間後に走り始めます、たぶん。
膝ッ、頼むぞ!




ポエマー西野 拝



[追記]

この詩には続きがある。
何が言いたいのか子どもたちは考えてくれるだろうか。
そして自分なりに、続きを作ってくれるだろうか。





2008年04月22日01:54 [ 本人 SNS 日記より転載 ]


4月20日



先日下関の実家に、千羽鶴と一通の手紙が届いたそうです。

 手紙には丁寧な字で、僕の安否を気遣い、無事を祈って1羽ずつ鶴を拵えたと書いてあったと聞きました。




僕のバーサンからでした。



 その報告を聞いてから、今まで以上にご老人に対する僕の眼差しは、ヌタリヌタリと生温かさを増したのでした。


バーサン。
買い物をするバーサン。
ベンチに座っているバーサン。
散歩をするバーサン。
あなた方に眼差しのなんと温かいことか。



 あなた方が笑顔なら、世界は幸せ。
風邪をひかれぬよう、あったかくして過ごされませよ。



 今日こちらは吹雪いています。
最高気温は-7cとまた冬が戻ってきました。

それではまたお便りします。




長ズボンに戻ったヘナオ、西野旅峰





2008年04月19日02:01 [ 本人 SNS 日記より転載 ]

4月17日



昨日は6人、今日は5人。

 僕の夢は一人でも多く子どもたちの笑顔を増やすことです。
スーパーで通り過ぎる子、道端で行き交う子、図書館で向かいに座った子......
相手を笑顔にできたら僕の勝ち。
でも昨日は、図書館で出逢った小さな女の子がブチええ笑顔で[バイバイ!]と言ってくれた。
あなたの勝ちだと思った。


 4月12日からアルバータ州に入り、グランドプレーリーという街にいます。
だいぶ南に来ましたが、まだ北緯55度以北です。
 今日は小雪が舞い、ところどころに吹き溜まりができています。
朝は6時ごろから明るくなり始め、夜の10時を過ぎてもまだ明るさが残っています。
1日中暗かった冬が過ぎると、次は1日中明るい夏の日々がやって来ます。
まだこちらは寒く、夏には程遠いような気もしますが、日照時間だけは確実に長くなっています。

 今回の旅のテーマのひとつは、『幸』を考えることです。膝の回復が遅れておりやることもない僕は、考えても考えてもよう分からん日本のGDPに全く貢献しないようなことを、日がな1日考え居眠り、飽きて居眠りと、自堕落な日々を送っております。


ヒマじゃ!

 ということで、話は冒頭に戻って、僕はまたエヘラエヘラとアヤシイ笑みを子どもたちに投げかけておるのです。
ヘヘヘ。

それでは、みなさまお元気で。
今日もエモノを笑わせます!!


西野旅峰 拝






Date: Sat, 12 Apr 2008 12:40:02 +0900 (JST)


4月11日


 A



明日、ようやく出発をします。

膝に不安を抱えたままなので、ゆっくりゆっくりと。
 それでも自転車での移動をしない方がよいと判断すれば、贅沢ながらバスでの移動を考えています。

 ひゃー、早く思い切り走りたい!!
と、いうことで、みなさまお元気で。
膝にはくれぐれもご注意を。



 @ 2008年04月11日03:07 [ 本人SNS 日記より転載 ]

 みなさま



ご無沙汰しております。
日本は春、桜が満開との情報を得ていますがいかがお過ごしでしょうか。

現在カナダのフォートセントジョン(Fort st. John)という小さな街にいます。
こちらもすでに春が来つつあり、走りやすくなっております。



 現在西野旅峰HPの更新は、協力してくれている友人のパソコンが故障中のためできておりません。
 ご心配いただいたみなさまにはお詫びとお礼を申し上げます。

膝を痛めてから1ヶ月。
 ずっと自転車を漕いでいないので、走りたい気持ちと膝に対する不安が交錯しています。
自転車自体に問題はありませんが、サイドバッグその他の装備は寒さと重さにより破損している部分がたくさんあり、また自らの膝も完全ではなく旅は思い通りには進まないものです。

 HPでのご連絡ができませんので、僕を知っているお知り合いがおられましたら、ニシノはとりあえず元気でいるらしいと、そしてお腹を空かして寂しがっているらしい(ウソ!)とお伝えいただけたら幸いです。


付け加え。
 今は、家を持たない方々やアルコールがないと震えてしまう方々とともにある施設で過ごしております。
含蓄のある日々であります。

取り急ぎご報告まで。


自転車に乗っていない自転車乗り 西野旅峰 拝




[お礼]


 インターネットを使用する時間が限られているため、お一人おひとりに返事を書けません。
一括で大変申し訳ありませんが、コメントをくださったみなさまにはこの場でお礼申し上げます。

ありがとうございます!!

 明日、再びペダルを踏んでみますが、もしまだダメなようならバスでの移動を考えています。
何かと学ぶことの多かったこの街での滞在でした。
いずれ、HPでご報告いたします。

それでは、またお便りできますところから。
みなさま、お元気でお過ごしください。



4月11日 西野旅峰 拝





3月30日

 今日はスーパーマーケットについて話をします。
米国カナダはもとより、海外に行かれた経験のある方は周知のことでしょうが、海外のスーパーマーケットは誠にでかい、すべてがでかい!!
 このフォートセントジョンの街は人口7万人とそれほど大きくはないのですが、スーパーマーケットはご多分に洩れず誠にでかい、売っているものもこれまたでかい!!

 まず牛乳1l、ほとんどありません。2lから。横に視線を這わせますと、4lの牛乳480円ナリが175本、ガンガンガン!と山積みであります。その横では、卵30個箱入りLサイズ2400円ナリ!なるものが、これまた山積みであります。その横で、縦軸横軸ともに存在感を発揮されておるカナダのおっさんが冷凍七面鳥12、5kg、5500円ナリ! を片腕で引っつかんで山積みのカートにぶち込み、その向こうで少年マイク(仮名、3歳)が1、5kgのポテトチップス450円ナリ!をお母さんにねだり、違う場所では三編みのケイト(仮名、おそらく中学生)がアイスクリーム4lのバケツ、600円でお買い上げ!!を睨んでいるという状態なのであります。

 と、こんな調子ででかいものを売っているでっかいスーパーマーケットなのですが、このスーパーマーケットはレジが10台くらいの規模でいえばたいへん小さい部類に属するお店なのです。

 僕が今まで見てきた中で最大のスーパーマーケットは、南米はその半分の面積を有する大国ブラジルにおける、レジ80台を超す恐るべきでかさの建物なのでありました。店内はどこぞのお城を思わせる天井の高さで、向う側は遥か遠く、ローラーブレードの店員が走り回り、赤子泣き、お年寄りも発奮し、犬がいて、若者たちはなぜか踊り狂っていたという......

 下関のシーモールで、もしくは佐賀のモラージュでさえ迷子になりそうな僕は、誠にもっておったまげてしまったでかさなのでありました。
 
今回の旅ではまだ大都市に足を運んでおらず、これからこの記録を抜くお店が現れるのかどうか、楽しみにしているところです。

 みなさまも海外に行かれることがありましたら、世界遺産と同時にスーパーマーケットの散策などいかがでしょうか。


膝が治らず悶々としております。
でかいスーパーマーケットに行って、買い物エクササイズをしてきます。
うきゃーー!!!

(注 :大規模店の影響力で、中心地からの個人商店衰退、街としての特徴及び魅力が失われていると危惧する声も聞きました)




Date: Sun, 30 Mar 2008 04:17:36 +0900 (JST)

3月28日

 今日はこのホームページに関して話をします。
実はこのホームページ、僕が直接字を書き込んでいる訳ではありません。
二人の協力者を介してようやく、みなさまにご覧いただける状態になっております。
 
 これまで、日本語の打てるパソコンがなく、また僕も日本語を打つ術を持っていませんでした。ですから、僕が中継地に無事着いて[ 旅先から ]の文章を考えますと、まずそれを日本語の打ち込めないパソコンで、ローマ字と山口弁と貧しい英語の混ざったカオス( 混沌 )の文章を協力者マウンテン=シャドウ氏に送るのです。シャドウ氏はそのアルファベットだけの文章を、みなさまがご覧いただけるように日本語に翻訳、もしくは変換し、誤字、脱字のチェックまでしていくのです。それを第二の協力者、シチーガール=ヨーコ氏に送るのです。ヨーコ氏はその日本語に変換された僕の文章を忙しい時間の合間をぬってホームページビルダーで更新していくのです。



 ああ、お二方よ。


 いつも感謝しています、ありがとうございます。
そしてこの街で初めて自分の文章を海外から見て嬉しく思いました( 今までなぜか見ることができませんでした )。
 協力者シャドウ氏とヨーコ氏は[ 旅先から ]の文章に、分かりやすいように[ 注釈 ]を加えてくれていたのです。
例えば、ムース[Moose ; ヘラジカ]、グリズリー[Grizzly ; アラスカヒグマ]、僕の誕生日3月15日[西野サイコーと覚えてください]などなど。

 こちらで、毎日たくさんの方に励まされ助けられておりますが、本当に日本の方々にも、今でも、この文章を打ち込んでいる今でも励まされ助けていただいております。ありがとうございます。


 自分一人では何もできないなと、やっぱり思うのです。
みんながおってのニシノやなーと。

 このサイトに関しては、お二方おってのニシノやなーと。
ということで、このホームページの一字をとってみても力を貸してくださる方がいて成り立っています。

 そんなこんなで進められていく西野旅峰の旅。
しっかり膝を治して、僕の見た世界をまたこのページに載せていきます。
今日は、マウンテン=シャドウ氏とシチーガール=ヨーコ氏に改めてお礼申し上げます。
これからもよろしくお願いします。
そしてみなさま。
いつも応援、ありがとうございます。


西野旅峰






Date: Wed, 2 Apr 2008 05:49:33 +0900 (JST)


3月27日

今日は僕の英語力についてお話します。
僕は英語が話せません。
だからいつも笑顔で話しています。
 耳が慣れてきたので聞いて理解することは、以前に比べてできるようになったのですが、話すとなると自己紹介と「食べ物ちょうだい!」「飲み物ほしい!」「テント張らせて!」と日常会話くらいです。
英語が話せない者にとって、基本は「YES!」です。笑顔で。

相手が何を言っているのか分からない場合でも、困った顔をしてはいけません。

 あくまでさわやかな余裕を持った笑顔で、「YES!!」と口にすればよいのです。

その後は余裕の顔の裏側で、鋭く相手の表情を読み、場の空気を吸い込み、身振り手振りを感じつつ、総合的に判断すればよいのです。だいたい当たります。後は適当に,5回に1回くらいの割合で「もちろん! (Sure) 」とか「難しいね (oh) 」とか「僕もそう思うよ!(Me, too!)」などの単語を混ぜておけば完璧です。
病院に行ってヒザが痛いのを説明する時も、大袈裟なくらい痛そうな顔をしつつ、ヒザをポンッ!と叩けばよいのです。詳しいことは絵を描けばよいのです。


ハハハ......

僕はこんなことをしているから、いつまでたっても英語が上達しない訳だ。その代わり、コミュニケーション能力だけは右肩上がりです(自分でフォロー)。

英語は話せませんが、英語恐るるに足らず!!
英語が話せない場合、笑顔で話せばよいのですハハハ!!

【 : 中高生は参考にしないでください 】







Date: Fri, 28 Mar 2008 12:06:16 +0900 (JST)

3月26日
今日は僕の肩書きの話をします。
みなさんは名刺というものをお持ちでしょうか?
そこにはあなたの肩書きなるものが書かれているでしょう。
ある人は、教師。
ある人は、医者。
ある人は、看護師。
ある人は、団子屋。
ある人は、政治家と、人それぞれによって肩書きなるものは違うのでありますね。


僕は日本では肩書きはありませんでした。


一時期、[ マジメで明るい生協のお兄さん ]という肩書きを持っていた日々もありましたが、そこを辞めてからは僕の肩書きは失くなりました。

あえていえば、[ 無職 ]が僕の肩書きでした。


講演をするときも肩書きで多くの学校関係者の方を悩ませました。
ある時は、アルバイトの西野さん。
ある時は、教師を目指している西野さん。
ある時は、下関生まれの西野さん。
ある時は、自由な旅人の西野さん。
ある時は、肩書きには触れず、西野さん。
新聞者の方も悩ませました。
ある時は、佐賀大OB。
ある時は、佐賀市在住。
ある時は、自転車で旅をする若者。
ある時は。。。。。。


一言でいえば「肩書きなし」だった訳なのですが、誰も「肩書きなし」の西野さんとは言ってくれませんでした。

そんな肩には何も乗っていなかった軽い僕に、このところたくさんの肩書きが乗っかるようになりました。
ある街で「お前の仕事は何なん?」と聞かれ、「えっとね、新聞社に原稿書いたり雑誌に原稿送ることなほっちゃ!」と答えましたら、「おお!フリーランスジャーナリストなんや!!」ってその人が言いました。

フリーランスジャーナリスト。。。


フリーランスジャーナリスト。。。



カッコよくて二度も書いてしまった。



 
 そう、僕はいまフリーランスジャーナリストという肩書きを持ってしまっておるわけです。

 街を歩きながら、人々とすれ違いながら、ショーウィンドウに写る己を見ながら、買い物をしながら、僕のフリーランスジャーナリストとしての眼はいつも鋭く鈍く社会の欺瞞や本音と建前、自己矛盾に嘘八百などということをどこぞのお店のチョコレートが安いかという情報とともに見抜いているのであります。街を行く人々を見ながらも「フフフ何かイケナイことをしたらフリーランスジャーナリストの僕が黙っちゃあいないよ」などと、気分は既に戦場のチャーチル(?)なのでありました。


 そういう肩書きを持ってやって来たサルべーションアーミーで昨夜何気なく絵を描いていますと「お前アーチストなんや!」と言われ僕の肩書きに[ アーチスト ]が加わりました。またその後何気に(?)オカリナを吹いていますと「ミュージシャンじゃ!!」と言われ、他にも[ サイクリスト ]、[ 旅人 (当然) ]、[ 自由人 ]、[ サムライ ]と、こんなにも肩書きが増えてしまいました。

肩書きが増えたからといって僕の毎日が劇的に変わるということはなさそうですが、少なくともフリーランスジャーナリストという肩書きは、旅の間中使わせていただきます。



フリーランスジャーナリスト。。。




フリーランスジャーナリスト。。。


キャー!!




3月25日
(一部編集)
 僕が街中でこれまでに泊まったことのある場所は、橋の下、公園、お寺、ガソリンスタンド、教会、民家、警察の駐車場、男の溜り場、廃屋、ホテルなどでしたが、今回初めてサルベーションアーミーという場所に泊まっています。
 
 サルベーションアーミー( Salvation Army; 救世軍 )とは簡単にいうと、ホームレスやお金のない人たちのための宿泊所で、三食付、間食付、テレビもシャワーもベッドも備えてあり、ほとんど行動の制限もなく、もちろん無料で泊まれる施設です。

 場所により多少の違いはあるでしょうが、温かい場所でご飯と寝る場所は必ず確保してあります。
 誰でも、ワタクシのような薄ら笑いを浮かべた旅人でも泊まれるというところにはじめ驚きました。僕は税金を払っているわけでもなく、ただテントを張る場所を探していただけでしたのに。
 ほかの街では分からないのですが、ここでは10日間、場合によっては例えば病気の場合など特別の事情があれば最高30日間滞在できます。
 
 
 いまこの施設に滞在している方々は、米国の旅行者、季節労働者、芸術家、ホームレス、家出っぽい女の子、ミュージシャンっぽい人、何だかちょっと目付きの鋭い人、妙に明るい遊び人っぽい人、いつも寝ている人、そして膝を痛めているヒヨワな日本人という構成です。


 元々は1865年にイギリスで発祥し、カナダでは1891年に設立されて以来、実に100年以上の歴史があります。キリスト教の精神と深く関係しているようです。

 北米はキリスト教が人々の生活に深く根付いていて、ホスピタリティーやボランティア精神はそこから生まれている場合が多々あるような気がしています。これらは賛否両論ありましょうが、この施設に関していえば客観的に観ていい流れだと思います。宗教が関わっているととやかく言われがちの日本ですが、例えばそれが後にキリスト教に勧誘する狙いがあったとしても、今日凍死するかもしれないという人々を100年以上前から何人も救ってきているのは事実としてそこにあるからです。
 現在世界130カ[訂正→113]にこの施設があるそうですが、日本の街にもあるのか、今まで意識したことはありませんでした。あなたの街にはありますか?
 僕は日本人ですし、それ以上に長州武士ですので、「何でもかんでも」といった欧米追従の路線は好みませんが、しかし、福祉に関しても環境に関しても平和に関しても日本が大いに参考にすべき点は多々あり、そこは見逃してはならないと思います。

 これまでは先進国と呼ばれる国々を走ったことはなく、アラスカ、カナダが初めてのことなのですが、いろいろと 教えてもらえることがたくさんあり、日々勉強をさせてもらっています。
 
 もちろん、反対にサルべーションアーミーやこの国が抱える問題点、日本の優れているところなども少しずつ僕なりにですが見えてきております。

 そろそろ夕食の時間です。食べ放題ですので、肥らないように気をつけて感謝して、長州武士の誇りを損なわないように謹んでいただきます。
あ、すでに肥ってしまって
いるんだった。
合掌



 [**一部文章の編集と掲載中断について]

 サルべーションアーミーは、人によっては税金を全く使っていないという人もいれば、また別の方は一部税金も使用しているという方もおられます。責任ある立場の方でもおっしゃることがことが異なりますので、現在引き続き調査中です。
 誤った情報を流すことになってしまっては不本意ですので、正しい情報が確実に把握できるまでこの文章は一時的に伏せておきたいと思います。 調査不足とお見苦しい点をお詫びいたします。








Date: Fri, 28 Mar 2008 06:29:41 +0900 (JST)


3月24日

アラスカハイウェイも、残すところ75kmとなりました。
アラスカのフェアバンクスから2400km、約2ヶ月。
マイナス54度から、プラスの1桁になる日も出てきました。

 夜はマイナス30度に下がる日がありますのでまだ完全に春とは言えませんが、日中は太陽が出れば春の匂いがします。日本でもカナダでも春の匂いは同じで、懐かしいふるさとの春を思い出しました。
 さて、ここのところ膝の痛みがぶり返してきておりまして、Fort st John というこの街で停滞中です。
 強制的に後1週間は膝を休ませます。
 
いま久しぶりに短パンを履いて街を歩いています。日中の気温は大体マイナスの3度から5度。そうしましたら通りがかりの上品な老婦人が「ワオ!ビューチフル!!」
 
 僕の短パン姿を見ておっしゃいました。この方はきっと正直で素直でウソの言えない心のキレイな方なのだろうと思いました。その後、通りすがりの若者さんたち(平均年齢17、5歳と推測)から今度は「クレイジー(ご丁寧に指をクルクルと頭の上で回して)!!」と言われました。あの少年たち(上から目線)もきっと正直で素直でウソの言えない性格の持ち主なのでしょうね。お世辞を覚えたらもっと世渡りがうまくなるでしょうね。

 話がずれました。世渡りの話ではありませんでした。最近短パンを履いてからなぜか身体の調子がよいのです。そうそうそのことが言いたかったのだ。体調はもともとよかったのですが、最近富によいのです。これは肌の露出面積と人間の精神状態の起伏に某かの医学的もしくは哲学的な相関関係があるからだと思われます(ホントかな?)。
 
 そこでやっと分かりました。僕の膝が痛み出したのは長いこと長ズボンを履いて肌の露出面積を減らしたため精神の一角がバランスを崩しその悪影響が膝に現れたからだと!!そうだったのか!!
 ということで、これからは短パンで走っていくことにします。この膝の痛みは、[早く短パンに切り替えろ!]といった、膝からのメッセージだったのですね(ホントかな?) !!

と、まあそんなことが言えるくらい、僕の心はすでに春です。
今泊まっているところに関しては、また後日お話します。
それでは。


Date: Fri, 14 Mar 2008 06:26:04 +0900 (JST)



3月20日



 いろいろありまして、連絡ができませんでした。
膝は何とか走れそうなので、明日この街を出ます。
アラスカハイウェイの始点ドーソンクリークまで、後450km。
無事に走れることを祈りながら進んで参ります。
それでは、また!!




西野旅峰


3月11日


 夜は−15℃前後まで下がりますが、日中は(プラスの)ひと桁にまで上がる日が出て来ました。
いま、カナダの[ FORT NELSON ;フォート・ネルソン]にいます。
 1月のアラスカに比べれば遥かに暖かくなってきていて、ここにも、もうすぐ春が来ようとしているのが分かります。

 White Horseを3月4日に(都合により、3月3日ではなく4日)に、出発してから[ WATSON LAKE ;ワトソン・レイク ]まで4日間、1日120km〜140kmで走っていました。

 かなり調子が良く、この間に初めて気温がプラスの一桁にまで上昇しました。
アスファルトの上の氷も解け出し、今まで凍っていた川も少しずつ解け出し、久しぶりに川の流れる音を聞きました。

 この辺りは、バッファローの天国でもあり、1日に100頭以上のバッファローを見た日もありました。
すぐそばで草を食んでいるのですが、ほんの10メートルもない距離で僕はバッファローの息づかいをずっと聴いていました。

 大きくて濡れた黒い瞳と、異様に盛り上がった肩の筋肉がとても強烈に頭にこびりついています。
 また、40頭ほどの群れが急に走り出し、道路の上を逃げていく時の蹄(ひづめ)の音は、旅に出て良かったと思わせてくれる足音でした。
凄い響きでした。

 その夜、テントの中でも、ずっとその音は僕の耳に聞こえ続けていました。
ところが、この時分から、ずっと誤魔化し続けてきた、僕の脚にだんだんと異常が起こりだしました。



 Watson Lakeを3月8日に出てFort Nelsonまで約530km、僕は上手くいけば4日で到着できると踏んでいました。

 1日にようやく140km平均で走れるようになり、嬉しくなる一方で、遅れすぎている日程を取り戻そうと無意識のうちに焦っていたのかもしれません。8日の夕方から膝が痛み出し、次の日は殆ど力を入れてペダルをこげなくなり、10日には、もう自転車を押すことしかできなくなりました。

 膝を痛めたのは、自転車に乗ってから今まで全くなく、まさかの出来事でした。
原因として考えられるのは、防寒シューズの右足(左は問題ありません)の踵(かかと)が僕の足に合っておらず、踵が当たらないようにFiar Banksからおかしな角度でペダルを漕いで来たから、だと思います。
 また、寒さと60kg(少し荷物を減らしたので、今は55kgくらいでしょうか)の荷物、向かい風にアップダウン、これらが一挙に膝に負担をかけてしまったのだとも考えています。

 今まで自転車が故障して走れなくなるという状況は想定しても、現実的に自分の身体が壊れて走れなくなるとは、あまり考えておらず、健康体で走られることのありがたさを存分に噛み締めています。

 しかし、そこは「軽さ(!)」が「売り」の僕ですので、これは、誕生日(3月15日、何気にアピール。西野サイコー< 315 >と覚えて下さい)まで、ここでゆっくりしなさいという自然からのお知らせだと思って、新聞者への原稿を書いたり、出していない年賀状の返事を出したり、婆ちゃん2人に手紙を送ったりしようと思っています。

 1日だけMOTELに泊まりましたが、「−15℃前後(僕のテントで十分暖かいです)くらいで70ドルも払えるか」、と思い、雪の降る中、テントを張る場所を探し、街をさまよっていましたら、詳細は省きますが、同じMOTELに無料で泊まることができるようになり、現在、そこに泊まらせてもらっています。

 中継地に着くまでは、いつも大好きなBEERなど必ず飲まないようにしていますので(資金があまりないので・・・それと我慢して走った方があとで美味しいBEERが飲めるような気がするので・・・)誕生日くらいは『 YUKON GOLD ;ユーコン・ゴールド 』という大好きなちょっと高いBEERを買おうと企んでいます。

 ちなみに、『YUKON GOLD』というちょっと高いBEERは、Destuction Bayで、ある方から奢って貰ったものです。
(Thank you, Aidrian!!)


 膝が痛いお陰で、無料でMOTELに泊まることができ、誕生日にBEERを飲むことができる!!
へなちょこ男の西野ですが、日々を楽しんでいます。

膝以外は、いたって元気ですので、ご安心下さい。

 最後に、膝は特に、その他の身体についてももう一度これまでよくついて来てくれていることを、心から感謝して、少し労ってあげようと思います。
 自分を甘やかすのではなく、もう少し身体のことを考えてみようと思います。

 おそらくあと4、5日はこのFort Nelsonに滞在しなければならないと思いますが、その間に自分のすべきことをやっていきます。

動けない分、やらなくてはならないことがたくさん出てきました。

それでは、またこの街からお便り致します。

西野旅峰



3月3日

今日、[ WHITE HORSE ;ホワイトハウス]を出ます。
結局、自転車は直りましたが、サイドバッグは良いのが見つからず、ズトラップで縛りまくり、誤魔化しながらの走行をしなくてはいけません。

 この街を出てからが、無人地帯が長く続き、アップダウンが増えてくるので、逆に楽しみでもあります。
今まであまりにも、(予定していた道程を)進んでないので、いちいち力一杯走って、テントで休んでまた走って眠りこける・・・・・・という日々はきっと春に近づいている今だからこそ楽しみだと思えるのかもしれません。

 次に連絡ができるのは、やはり1ヶ月後になるかもしれませんが、−30℃になる事はもう殆どないと思いますし、仮にマイナスになったっとしても、今の装備なら十分に対応できると思います。

 決して自然を甘く見ているわけではありませんが、それなりに走っていけているのでどうかご安心下さい。

僕はいつも元気です。

皆さんの街では、もう春が来ているのでしょうか?
またお便り致します。
されまでお元気で!!

西野旅峰




2月24日

皆様、元気ですか?

 長いこと、連絡ができずすみませんでした。
現在、カナダの[ DESTRUCTION BAY ;ディストラクション・ベイ ]という街に居ます。

(当初予定していた速度と比べて)これほどまでのスローペースになるとは、自分でも思っていませんでしたが、元気に楽しく日々を送っています。

 アラスカのFair Banksを1月の終わりに出発してからここに来るまで、沢山のことがありました。
とりわけ、[ DELTA JUNCTION ;デルタ・ジャンクション]という街で過ごした2週間は思い出に残る日々でした。
 そこでは、キャビンで過ごしていたのですが、その2週間はほぼ毎朝−50℃前後が続き、おまけに向い風も強く、キャビンのオーナーが「今、行ったら死ぬけぇ、何日でもええけぇ滞在しろ!(←下関弁)」


と言って下さり、無料で泊まらせて頂いたのです。
その代わりに僕は、毎朝、お店の掃除と他のキャビンの水回りの修理の手伝いをさせて頂きました。
 −45℃を下回る中、素手で水回りの修理をするということが、どれほど辛いことか容易に想像できると思いますが、63歳のそこのオーナーDANさんは、毎夜、手と顔を真っ赤にしながら働いていました。

 滞在中、僕が確認した限りでは、朝の8時で−54℃という日がありました。
近くの農場では、その日、−58℃まで下がったと聞きました。すでに−45℃では、驚かなくなっています。

 さて、そんなある夜、いつものように修理の手伝いを終えて、自分のキャビンに戻りながら歩いていると、北の空が薄明るく、ふと顔を上げるとそこに、初めて見るオーロラが揺れていました。
 緑のオーロラはゆっくりと形を変えながら、沢山の感動とともに感謝を僕の中から引き出してくれたと思います。
こんな体験をさせてくれて、ありがとう、と。

 今は、春が近づいているのか、暖かくて自転車で走るのに風さえなければまったく問題ありません。
 −25℃でも寒いと感じなくなりました。
 −30℃まであれば、心にそれなりのゆとりを持ちながら走ることができると思います。
 全てFAIRBANKSで助けてくれている多くの方達とDelta Junctionで支えてくれている沢山の人々、日本で見守ってくれている皆さんのお陰です。

 オーロラを見ていた時、そのことをとてもありがたく感じて「今、ここにおるのは、本当にみんなのお陰やなぁ」と感じたのです。



 それはそれは、心に残った夜でした。


自転車の速さというのは、トナカイの足跡やムース(* MOOSE: ヘラジカ )の姿を見ることができ、狼の遠吠えなどを聞くことのできる速さです。
 −30℃、全く物音のしないテントの中で寝袋にくるまっていると、自分がその場に居ることを感謝せずにはいられません。
すぐ近くに狼がいるかもしれない、グリズリー(* GRIZZLY: アメリカヒグマ・ハイイログマ)が深い雪の中で眠っているかもしれない、大きな自然の中で、自分がとても小さく見えます。


さて、明日は犬ぞりに乗って、National Parkの中のトレイル (* ハイキングコースと呼ばれるルートや里山歩きのルートなどを走ることをトレイルランという)を走ることになっています。
 通り過ぎるだけのつもりだった34人しかいない小さな街でもどこかで聞いたことのある「優しさのバトン」が生きていて、日本人に優しくしてもらったことのある方からの贈り物なのです。


 アラスカ ハイウェイはDelta Junctionからカナダの[ DAWSON CREEK ;ドーソン・クリーク ]まで1422マイル、約2400km。

 日本列島縦断とほぼ同じ距離を走ってきます。
 まだまだ先は長く、4月で−40℃になることがあると言われるカナダですので、気を抜かないで走っていきます。
今までがあまりにスローペースだったので、僕の身体は動き出したくて堪らないようです。
 
明後日からは、少しペースが上がるだろうと思います。
但し、道端に落ちている宝物を見落とさないように気を付けながらですけどね。

僕の旅はまだ始まったばかりです。
皆さん、いつも心から感謝しています。
ありがとうございます。

日本の春はすぐそこですか?
またお便り致します。



RYOO NISHINO




1.28

こんばんは、FAIRBANKS は1月28日、深夜二時です。


出発の日が来ました。
明日、29日のお昼にFAREBANKSを出ます。日本時間で言えば、30日の朝になります。

 25日の金曜日から土曜日にかけて、80kmほど走った場所でテント泊をして、装備の最後の点検をしてきました。

 その夜もテント内で‐40℃という厳しい寒さになりましたが、暖かい衣服と2重の寝袋で寒さを感じませんでした。

 また、日本を出る時、友人や母に持たせられた背、中に貼るタイプのカイロを初めて使用したのですが、大変な威力を発揮し、
少なくとも、僕にとってこれは寒い場所でテント泊をする時の必需品だと思える程です。

 カイロのお陰で、夜はその様に暖かく過ごせるといいのですが、問題は朝です。


 全てが凍りつくテント内で、暖かい寝袋から這い出て出発の準備をする。
これほど嫌なことはありませんが、少しずつでも動いて前に進めていけたらいいなと思っています。

この道は、楽しむのではなく、ひたすら耐えるのみ。はやく春が来て欲しいと心から願います。


 さて、今日は、今後、僕が進んで行くことになる道や街の状況をお知らせします。

≪ 道路状況 ≫
 まず、道は全てアスファルトで、凍っています。
雪が積もり進めなくなる時も、しばしばあり、雪が深いと50kgと少しの荷物(僕の自転車の積載できる重さの限界であるととも
に必要最小限の荷物量でもあります。)を積んでいる自転車をこぐことは、自転車に乗らず歩くよりも辛いと感じます。

≪ 道のり ≫
 FAIRBANKSからカナダとの国境までうまくいって10日間、アラスカ・ハイウェイの終点 [ DAWSON CREEK ;ドーソン・クリーク ]までは、40日を越える旅になりそうです。

ただ、これはあくまでも予定ですので、正確な日数は、なんとも言えません。
 
また、どの街も然程、大きくはありません。


≪ 走行事情 ≫
現在は、準備と日照時間( 参 考:緯度の関係上、日照時間は4時間 )、また気候の関係で、朝の11時から夕方の4時半ま
でくらいしか走れません。

 その気になれば、9時頃から走ろうと思えば走られるのですが、朝はあまりに寒過ぎて、前日の寒さのため全てが凍りついた
テント内での準備は、3時間はかかるのです。
 酷い冷え症の僕は、手袋2枚重ねた手をポケットから出して鞄に荷物を詰めては、ポケットのカイロを握り締めて、再び作業を
してまたポケットに手を突っ込むということを繰り返しながら出発の準備をしています。
 これは、僕なりの凍傷予防でもあり、それほどここは進むことは僕にとっても困難な道のりです。


 
と、いうことで、これからしばらくの間、音信不通になると思います。

≪ みなさんへ ≫

 みなさんと連絡が取れましたら、生きているということですので、それまで、無事を祈っていて下さい。
もしも、この道中に何か予測しない事故などが発生した場合、FAIRBANKSで部屋をお借りしていたDANIELさんに連絡をするこ
とになっています。
 また、その他にも2人の協力者(KIMさんとKEVINさん)がいて、緊急時にDANIELさんと連絡が繋がらなければ、その2人に連
絡をさせて貰うことになっています。



 出国してから、メールを今まで下さったみなさん、本当に有難うございます。
 
日本語のメールは、読めなかったので返信ができていませんが、いずれ読めましたら、返信をさせて頂きます。

身体の一部を失うことなく進んで行くことを約束します。
さて、それでは、また生きてお会いしましょう。


早く春よ来い!!!!!!!



   1.24


 みなさん、こんばんは。

 日本を発ってから2週間が経ちました。
 この間、ずっとFARBANKSに留まり、先へは進んでいませんでした。既にご存知かもしれませんが、
この街では多くの情報と装備を集め、身体を慣らしながらその先へ走れるように準備をしていたのです。

 今回のALASKA行きは想像以上に厳しく、自分のALASKAに対するイメージを根本から捉え直さ
なくてはなりませんでした。
 −20〜−30℃の気温がずっと続いてくれれば、いやもっと暖かい気温が続いてくれたら、少しは
安心して走れるのですが、寒波が来れば簡単に−40℃以下になる場所なのです。

 最悪の状況を考えて、それ(−40℃以下の気温)に対応できる装備を、テントに泊まりながらテスト
してきました。
 また常に、乾燥した衣服や手袋、靴下を身に付ける必要があり、それらの予備も増やさなくてはなり
ません。そのため、装備はかなり増えています。
 中にはこの街でお世話になっているDANIELさんから譲って頂いたものや、ALASKA大学博士課程
のKIM(山梨県出身)さんから頂いたものなどもあります。有難いです。
 またその他の装備、寝袋、衣類、手袋、靴下などについては、みなさんから頂いたカンパの一部を
ここで使わせて頂きました。

 みなさんのお陰でなんとか、走れる装備を揃えられつつあります。心から感謝致します。

 この街を出発するのはまだ確定してはいませんが、来週中に注意をしながら走られる機会をうかがっていきます。
 今夜はDANIELさんの家で温かく眠ります。

 みなさんありがとうございます。
 KIMさんありがとうございます。
 そして、DANIEL and DAIANA, I can't thank you enough.(←この表現はいま、辞書で調べました。
意味:感謝の言葉が見つかりません。)

それでは、おやすみなさい。


   1.22


 今夜は満月です。月の明かりに照らされて青白く森が浮かび上がっています。

 周りが白い雪ばかりなので、信じられないくらい、明るい夜です。
 今日は、また新たな装備を揃えました。こうして指を治しながら装備を更に増やし、情報を集めています。
(指は、だいぶ良くなりました。治るまでは動かない指にしています。)

 −50℃以下でも耐えられる装備と情報を集める、というとても大切なことを今はしていますが、これは
ここでお世話をして頂いているDANIELやDAIANAのお陰です。
 感謝してもしきれない。
ありがとう。

 今夜もまたテント泊です。
幸いなのかどうか、分かりませんが、今のところ、FARBANKSは暖かい日が続いています。どうかこの
天候が春まで続いてくれたら……と願う僕です。
 

 寒い所を走るのは、これくらいでもう十分なんだけどなぁ…
…なんてことを言いつつも、あと少しでこの街を出ようと考えています。

 春に向かって南へ向かってようやく僕の旅が動き出そうとしています。
 それでは、また連絡します。
皆さんの健康を遠い所から祈っています!!!



   1.14



 ただいまアラスカのフェアバンクスという町にいます。

 昨夜、訓練中に指先が凍傷にかかってしまい大変な思いをしています。−45度を初めて体験しました。恐
ろしいほどの寒さでした。すべてが凍る。僕の精神も凍りつきそうでした。
 恐ろしかった。あの寒さが3日続いたら、僕は動けなくなってしまうと思います。恐ろしかったです。

 まあ軽い凍傷ですんだのでお湯につけて治しています。これ
がまた痛くて、寒さの恐怖と自分の不甲斐なさで泣けてくる。

 結局、北極海に面したプルドーベイという街へは行かず、ここから南下をして行くことにしました。それが正
しい判断だと思います。

 今夜は暖かい布団で寝ます。ああ、よかった。
 でもあまり甘えすぎてもいけないので、気をつけます。
 それでは、失礼します。



   1.11



 色々な情報をお聞きしていると、非常に厳しい場所であることが分かってきました。
 ここから北上するのは止めにして一旦、飛行機で最北端に飛び、そこから南下をして行きます。

 明日は詳しい人の家に行って、自転車を見てもらいますが、かなり部品を取り替えなくてはならず、装備も揃え
なくてはならず、お金が失くなるのがあまりにも早過ぎます。ケチりたいのですが、自分の指や生命には換えられ
んので、ギリギリのところでなんとかやってみます。

 明後日は、恐らく−30℃〜−35℃以下まで寒くなるそうなので、100km程走り訓練をします。
 日照時間が4時間程なのでその間にどれだけ走れるかですが、焦らずゆっくり感触を掴みながら走ってきます。
 
 そうそう今は使わせて貰っているPC、日本語読めません。

 では、取り急ぎ。


 11.8 (※現地日付)



 フェアバンクスにいる。
 
 我はなんとか無事なり。